あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

日常の非日常化、あるいは、その逆

 ムダだとは分かっていても、近所に食い物を夜仕入れに行く。西友はえらく早い時間に閉めている。ちょっと一週間疲れたので、缶ビールでも、と思ったのだが。二つの駅のまわりをきょうは歩いたのだが、偉く印象に残るのは、牛丼屋さんが一杯なこと。でも夜は閉まっている。材料がないらしいのである。

 それを見て考えたのだが、震災や原発事故で避難生活になる前に、牛丼が食べたいと思っている人は、存外多いのではないか。

 さっき、先輩と電話していたのだが、「これが最後の日だとしたら、何を食うか」という、話をした。まだ露骨な被害がない都内の住人同士の話で、不謹慎かとも思うのだが、これは人間にとっては本質的な話であろう。

 先輩は、ワインとチーズがいい、と思いながら、最後の食事と思いながら、毎夜、ワインとチーズを召し上がっているそうだ。

 オレは、納豆がいい、と言ったら、もっと贅沢なものはないの?最期の日だったら、というのだが、あとは食いたいのはおそば、とかそんなところなのである。少なくとも、牛丼屋さんの光景の印象からすると、オレもそんな感じである。

 でも、どちらか、というと、オレは、自分で、はかせなべで幾つかの料理を作って、友だちと食いたい、と思うのである。

 何でだろう、と今、考えてみると、やっぱり、料理も「表現だから」だと思う。オレは、たぶん、最期の日には、何かしらの表現をしたいと思っているのだと思う。この日記もそうかもしれない。

 そういう意味でいうと、音楽を除くと、将棋が指してみたい。勝つための将棋というよりは、表現のための将棋。勝敗は問わない。表現がしたい。

 あとはあんまりたいしたことは考えていない。

 話はかわるが、近所の友だちとも偶然に会った。ちょっとお茶をする。この数日のお互いの体験をシェアしたのだが、彼女は、地震が来る予兆を感じていたという。こんなに大きな地震とは予想していなかったそうだが、いつもの様に予感が的中したそうである。

 オレは2012年問題とか、9月から調べていたから、いつ何があっても、覚悟はできていた。とはいえ、今のオレは、地面が揺れている訳でなくとも、揺れている様にからださんが感じてしまう。たぶん、これは、PTSDである。

 それで、昼に、アフガンの戦争も体験した方に、相談をしていたのだが、多くの人が、この手の症状を感じている様である。その方が普通であるそうだ。

 それも含めて、非日常が日常である状態がいつまで続くのか。少なくとも、原発以外のエネルギーが決まり、インフラが進むまでは、この状態は続くのだろう。いったいいつまでなのか。オレは10年くらいかかってもおかしくはないと思っている。

 一週間が、ずーっと一日の続きの様に感じる日々である。 


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-14 23:35