あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

納豆

 いまや、都内では貴重な食材のひとつは納豆である。先日、音楽の仲間が、納豆を差し入れて下さった。ありがたいことである。

 三月十一日の震災であったが、その仲間が、本番の予定であった。中止という話もあったのだが、決行された。

 自分は家が会場から近いこともあって、参加した。いったん家に戻ろうかとも思ったが、多分、悲惨な状況を処理するのに、一度帰ったら、戻ってこれまい、と思い、会場近くに居座った。

 あのとき、ホールに電話を入れたのだが、酷いノイズのなか、NTTが、電話が混んでいて繋げない、というアナウンスをしていた。そのノイズが、やたらとリアルで、今後どうなるか、ということに頭がいった。

 しかし、ホールに行って聞いてみると、決行だそうである。

 余震もあったが、これが自分が聴く、最期の演奏会となってもいい、と感じていた。

 そして、余震も何度かある中、演奏会は終わった。

 本当は、他の先輩たちも来る予定だったのだが、来れなかったという。

 後日、その仲間とお母さんから、頂き物をした。それが納豆である。これを手にいれるにも苦労されただろうに、と思いながら、演奏会に参加したお礼ということで、ありがたく頂いた。

 私が、地震の直後、日記で、最期に食べたいものは、という質問に「納豆」と答えたので、それを読んで、納豆を頂いたのだと思う。

 普段、自分で買っている納豆より、ずっと上品で甘みのある品物であった。


 茨城もだいぶやられているので、納豆の生産には困難がつきまとうと思う。だが、おととい、夕方に、西友で納豆を並べ始めたタイミングに遭遇した。一家族1パックということであったが、そもそも数の少ない納豆の箱は、すぐにさばけてしまった。

 納豆を食べることは、当たり前であり、生活の最低ラインのつもりであったが、今は、それが貴重品となっている。戦争中のタバコは、一缶でダイヤモンドの価値であったと聞くが、その話のどれくらいかは実感できている。そんな今である。

 納豆が手に入るまで、十穀米とひじきを入れて炊いたご飯を粗塩だけで食べていた。いまは、それが最低路線である。

 だが、その最低路線だって、いつどうなるか分からない。最低路線を充分に味わって頂く、それが今だと思う。そして、また明日が始まる。

 それくらいに、「いま、ここで」を実感できる環境がある、というのは、皮肉なことである。

 納豆は美味しくいただいている。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-25 01:20