あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

治療文化論―精神医学的再構築の試み(書評)

中井久夫著 治療文化論―精神医学的再構築の試み (和書) 2001

 昔、ずいぶん一生懸命読んだ形跡がある一冊である。あくまで、全く個人的な印象を、ぱっと開いたところから書いてみたい。

 まるで思想史の本の様でもあり、それでいて、そこに個人の在り方の息吹を感じさせる、というのは、臨床家であり、日本の数少ない碩学の一人であろう著者の作品の特徴であると思われる。

 さっき開いてみたのは、「妖精の病いと神話生産機能」という部分である。「無意識の持つ神話生産機能=mythopoetic function」に、エランベルジュが着目していることを、挙げている(1997年刷66ページ)が、それは140ページでは、以下の様に続けている。以下、引用。


 フロイトにはじまる力動精神医学は、主体としての患者の復権を、このとぼしき時代にあって果たしたという評価がありうると思う。それは患者の想像力さらには神話生成力の復権でもある。しかもそれは催眠術とは異なり、患者の生成したミュトスが患者に還元されることなくただ治療者のものとなって、患者は「どうしてかわからないがよくなった」ということで済まされるわけではない。


 以上、引用おわり。

 こうしてみると、この作品で提唱されている「個人症候群」概念導入の試み(6章 68ページから)というのは、患者、というより、個人の主体性の復権であり、その根源的な力は無意識にある、という主張に思える。

 個人、主体の復権が、無意識の力に支えられている、という結論は妙なものに感じられるかもしれないが、その違和感と発想自体が二元対立的な、「生きられぬ主体=世界」から見た違和感、あるいは固定観念だからであろう。

 生きられるもの、である自己=世界へ向かうことが、治療の過程であり、そのことを実感する、ということが、(患者も含む)個人の主体性の復権=治癒、ということになるのではないか。

 その意味では、無意識という、非言語的な「動き」に着目し、患者・治療者が共に生きる、という試みが、少なくとも力動精神医学の本来的な在り方なのであろう。

 妖精の病い、に近いかもしれない自分がこうして印象を書くのはある意味で不思議であるが、「生きられる世界」というものが、無意識の持つ神話(=ミュトス)生産機能によるものが大きいという実感からすれば、著者の個人症候群概念の導入、というのは、極めて自然な着想であると思われるのである。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-12 01:55