あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

空洞と空(くう)

 昨年の11月(※2010年)あたりから体験をしている感覚を、オレは「空洞」と名付けた。それはそれでいい。これを「空」と言い換えても、自分さんは、そうだ、と言う。

 だが、禅でいうところの空、とはずいぶんレヴェルが違う様である。そこに行くには、何万光年の距離があるかもしれない。

 だが、確かに禅でいうところの空、という状態も体験することがあるのだが、これはまさしく自分がなくなっている状態でもあるので、体験、というには矛盾があるかもしれない。

 チクセントミハイの言うところのフローともちょっと違う。それはそれでまた経験することがたまにある。

 ただ、今は、空洞でいい。自分がある訳ではなく、楽器のなかにある空間、あるいは、風の通る庭と縁側のある座敷の様な、そんなイメージが空洞といえるかも知れない。

 ただ、そこには、ある意味で主体がない。その空洞を通ってくるもの、あるいは現象に意味があり、それを味わうのが空洞である。

 音楽を聴くのもこれに似ている。音は、発せられたら、そこで消えていってしまう。そのとき、ある感情や感覚があったとしても、それは、空洞であるから、感じられたものは、感情・感覚は、借り物の感情・感覚であるのかもしれない。

 だが、自分はそれでいい、ということに気がついたのである。

 その在り方の方が、ものがよく見える、というか、そういう感覚はある。

 とりあえず、その状態を体験する、あるいは、そこにある平安なども体験する、それでいい様である。この先のことはまだ分からない。

 現在は、その状態が来たときにそれを感じるにとどまらす゛、自己流のハイブリッド・セドナメソッドなどを使って、積極的にその状態に入ることが、日常生活のなかで可能である。

 ハイブリッド・セドナメソッドは、オレが勝手に研究中のもので、そんなものは世間には存在しない。だが、セドナ・メソッドも、商標登録はされているものの、現在のやり方が完璧、という訳でもないそうなので、自分に合う様なやり方を勝手に研究中である。

 オレが知っているものでは、近いものはある。ただ、これは、一人でやるのではなく、術者がいて、初めてできるものだ。

 しかし、オレが研究中なのは、一人で勝手にできる、という決定的な長所がある。自分で自分を知るための方法として、結果もすぐ出るし、極めて効率が高い。それは、もちろん、土台になっているセドナ・メソッドがすぐれた方法であるから可能なのだが。

 他人から洗脳されたりする危険もない。自己展開ができる。そんな訳で、かなりいけそうな方法になりつつある。

 いまのところの基準としては、とりあえず、空洞の意識にまで短時間で日常的にできることでよしとしている。

 ただ、セドナ・メソッドは、成功法則の様な側面もあり、このあたりについては、まだ研究には手がでない。だが、日常の意識は非常に改善されつつある。

 これが他の人でも簡単に使える様になれば、ずいぶん精神的に救われる人もあるのではないかと考えている。まずは自分を徹底的に実験台として、方法を洗練させてゆく。

 とりあえず、自己救済がどこまでできるか、ということで、この可能性を追求したい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-26 01:02