あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

ひさびさに2012年問題関係の番組を観た

 古い番組だが、エハン・デラヴィ氏の2012年問題関係の番組を観た。天災の急激な増加は当たっているし、日本もまた震災と原発事件を体験している日々である。

 とはいえ、2012年を問題としてみるか、あるいは、新しい世界の到来と見るかによって、ずいぶんと精神的な態度も違ってくるのだと思う。

 新しい世界、というか、意識の到来、とすれば、アセンション、次元上昇、というのが、この2012年のカタルシスと同時に起こる、という説がある。

 実は、自分は、アセンション、ということがあんまりよく分からない。ただ、五次元存在と対話している、ということもあってか、三次元存在である自分というものが、如何に不自由か、ということは実感している。

 そんなオレにも、きのう、妙なことが起こった。ブラームスのドイツレクイエムを練習していて、ハルマゲドンのラッパが吹かれるあたりから、妙に、アセンション、ということのイメージができてしまったのである。

 それは、ドラマとしてのカタストロフ、というものではなく、アセンション、という感覚が妙に体感として理解できてしまったのである。もちろん、そのときアセンションを体験した、という訳ではないが、腑に落ちた、のである。

 オレもインディゴだというので、アセンションする可能性は高い方なのかもしれないが、そういう意識とは別に、何となく分かってしまった。それが、いいことなのか、そうではないのかは分からないが。

 その経験がきのうのことで、今日、偶然に2012年問題の番組を観ると、妙に色あせて見えたのである。もちろんそれは、番組が古いから、現在はもっと状況が進んでいる、という理由もあるかもしれない。

 ただ、そうではなくて、何か違う。自分がどこかで変わってしまっているのだ。それはまだ言葉にできないのだが、ある意味ですっきりしてしまったのである。来るなら来い、というのとも違う。すっきりした、という言葉の方が近い。

 震災と原発事件を体験して、オレも被爆者となり、次になにが来てもおかしくない、とは思う。覚悟はいつもしていたのだが、この短い時間のなかで、覚悟、という力が抜けて、開き直りでもなく、何かの意識に変わったのだ。

 敢えていうなら、暗くなったら寝て、日の出と共に目覚めたい、という様な感覚かもしれない。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-02-05 22:43