あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

月に一度の昼食会

 人様のまともなメシというものがどういうものであるかを知ることのできる貴重な機会が昼食会だ。オレなんか、ただでさえ慢性的に栄養失調だから、却ってからださんは、養分をため込む。だから、太るし、中性脂肪の数値はまともではない。

 たぶん、きょうの様な食事をすれば、そんなことはないのだろう。だが、予算的に、きょうの様な食事は作れない。

 凄かったのは、おかずがたくさんあること。シャケさんの焼き物、筑前煮、キャベツさんとしそさんの浅漬け、お豆腐と油揚げのお味噌汁。

 本来は、多様な味を日常で体験しないと、感覚がおかしくなる筈なのだ。現にどれくらいかはおかしくなっている。しかし、現実的には、対応することができない。

 とはいえ、たとえば、ある芸術やってる人が、一日お豆腐一丁で生きているという話もある。あるいは、何もやらせてもらえず、お菓子一袋で三日生きる、という様な人もざらではなくなってきた。オレはまだ納豆が食えるだけ救われている。

 ただ、そういう現状をどう評価したらいいのか、というのは実に難しい。本来は、一日二食か三食を食えないのは、世の中がおかしいからだ、という見方もあるだろうし、食えないのは努力が足りないからだ、という見方もあるだろう。

 最近怖いのは、震災の被災者の生活を思えば、自分は、あるいは周囲の人は贅沢だ、という考え方、あるいは感じ取り方が少しづつ浸透してきていることだ。この発想は危険である。

 ガキの頃、オレは不満そうな表情をすると(というか、自分にはそういう表情をしているという自覚はないのだが...)「戦地の兵隊さんを思え!!」とよく言われたものだ。いったいいつの時代の話だと思うが、「戦地の兵隊さんを思え!!」という言葉と、「私の教えには、キリストの教えが入っているのよ!!」とかしょっちゅう言われたものである。

 腹が減って、飢えと戦っている人間に対して、「東北の人たちを思え!!」というのは、これは、上記の体験からすると、誠に心ないことばである。

 そんな訳で、オレは、戦争体験を語る、とか、信仰を語る、という人を基本的にまるで信じていない。なぜなら、そういう人たちは、何もしないからだ。立場をつくるだけで、具体的に有効なことはしない。そこで他人の思考を支配し、自分は思考停止しているのである。さらには、戦争体験や信仰を語ることで、「私はいいことをしている」と思っている。

 だから、そういう人を信用しない。場合によっては、怒りも感じるし、軽蔑したりもする。でも、震災からの復興が現実的に見えない今、「被災地の人たちを思え!!」という、被災地ファシズムの様な空気があるのではないか。被災地のことを思って、その罪悪感から、自分が食えなかったり、生きていることが難しかったりする人間がますます追い詰められていく、ということはないのか?

 そんな訳で、「被災地の人たちを思え!!」という、被災地の当事者ではない人たちの言葉というのは、誠にこころなき仕業である。


 実は、きょうは、久々に昼食会に行ったのである。というのは、昼食会の日は、決まった様に、体調が悪くなって、欠席することがしばしばなのである。原因は、明白だ。まともで、ちゃんとして、健康な食事が目の前にある、ということ自体が、精神的に苦痛なのである。

 ボクサーの減量に較べれば大したことはない、かもしれないが、試合という目標がある訳でもないのに、慢性的に栄養失調、というのは、減量とは違う苦しさがあると思う。そうでなければ、昼食会の日になると体調が悪くなる、などということが起きる訳がない。

 という訳で、まわりからいろいろ言われても、飢えと戦わない様に、朝も昼も食べず、夕方に一食とって、夜に豆腐を頂く、というペースを続けるしかない。

 逆にいうと、そういうことが出来る自分というのは、ある意味で危険なのである。それは、「自分に勝っているから」である。もし、ここで、断食などという目標を設定したら、多分、オレは可能である。禁煙だって、一ヶ月以上楽なものである。ずっとできてしまうことが危険だから、適当なところで吸うだけである。断食にも長い実績がある。

 だから、せめてもの努力は、「断食はしない」ということである。断食をすると、期間が減食も含めると全体で五ヶ月くらいの行程を踏む訳だが、こうなると、自己イメージが狂ってくるので、そこいら辺が潮時である。

 まともではない親を持った不幸というものは、世の中ザラにあるものだが、その体験をどうやって、次の世代に伝えないでいけるか、伝えなくとも普通に生きていけるか、というのが課題ではある。

 飢えと戦わない、あるいは、飢えを飢えと感じられる、というあたりが、ある程度まともな感覚を保てる限界であると思う。そういう意味では、よくやっている、というのが現在の生活である。

 昼食会の食事で、自分を変えないといけない、と思ってしまうと、却ってややこしいことになりそうである。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-02-23 23:49