あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

ひさびさに近所の先輩と会う

 古くからお世話になっている近所の先輩と会った。先輩となかなか最近会えなかったのは、先輩が「疑似ぜんそく」という病気にかかってしまい、電話で話をするのも辛そうな時期が続いたからである。

 二人ともパイプを吸うのであるが、パイプは大丈夫なのだという。パイプや葉巻の場合は、口のなかに入れるだけで、肺や気管に吸い込むということがないからである。

 という訳で、久々に煙りを交えたのであるが、先輩と吸うのは格別である。

 ポメラの自慢をして、それから、エックハルト・トールのStillness Speaksをみていただいたのだが、OSHOのシリーズと似通った内容だ、という証言をいただいた。

 OSHOはまだ一冊も読んでいないのだが、とりあえず、トールの言う通り、ゆっくりとStillness Speaksを読んでみようと思う。

 トールのこの本についてのレヴューを比較的最近アップしたので、よかったら、ご覧頂きたい。邦題は、どうしてこんな邦題にしたのか不思議であるが、「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」というものである。

 以前のエックハルト・トールの翻訳は、監修者として飯田史彦氏という人が絡んでおり、日本人に誤解を与えないように、などという理由で、翻訳されていない部分があったりする様だが、「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」については、そうした余計な手が入っておらず、却って読む気になったのである。

 飯田氏の問題は、トールの主著の一つであろう、Power of Nowに強くあり、以前、フェルデンクライス・メソッドの先生からこの邦訳である、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本頂いたのだが、この監修の前文を見るだけで、言い訳が多くて、本文を読むのがイヤになってしまった。この本については、飯田氏の手の入っていない、再邦訳を期待したい。

 嫌な言い方をすると、飯田氏の監修というのは、著者に対する厚意のつもりであろうが、それはむしろ冒涜であり、読者の力を信頼していないのではないか、という印象がある。

 Amazonのレビューをみると、飯田氏は、どこの派閥や宗教にも属していない、ということを売りにしている様だが、そのこと自体が、一つの立場を主張していることになる。

 元来、人間というのは、何者でもないものになる、というのは困難なことであり、それこそ、Stillness Speaks的にいえば、人間の行き着く意識の最終的な在り方は、時空という幻想をはなれて、「いま、ここ」をただ観る、ということになる筈である。飯田氏は、その監修という行為によって、トールが本来主張していることをねじ曲げていると考える方が真っ当であろう。

 その様な訳で、残念ながら、Power of Nowに触れる気がしない。言葉ができれば、原書を読みたいものだが、残念ながら、自分にはその能力がない。トール氏ではなく、飯田氏の作品という視点から読めば、そういうものとして読めるかもしれないが、ならば、あまり言い訳はしないで欲しいものである。

 翻訳者というのは、別の仕事でいえば、音楽の指揮者の様なものである。ちょうど今、アバドがブルックナーをやっているが、アバドがブルックナー?というだけで、先入観を持ってしまうものだ。翻訳もそうである。

 オレ自身が、彼女の言葉やイメージを、日本語にしているところだから、翻訳者というものの立場というものを分かる気がする。オレとしては、彼女の伝えてくれることに全幅の信頼をもってやることがいちばん大切だと思っている。それに、間違っているという点については、ちゃんと具体的に、ここはこうして、という具体的なアドバイスがあるので、それで腹をくくっている。

 発信者に対する信頼、読者に対する信頼、というのものが、翻訳者にとって最も重要な魂の在り方ではないかと思う。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-01 00:47