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あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

ポジティヴ・シンキングではなく

 きょう着いた古本で、特に目当てにしていたのが、「自分から自由になれるゼロ思考」という本と、「やさしいフォーカシング」という本の二冊。

 ゼロ思考の方は、いま半分くらい読んでいるところ。

 もともと、プラス思考とか、ポジティヴ・シンキングとか、そんなものはオレには合わない、と最初から拒絶反応を示していた。さらにそれに、アファメーションとか加わると、アレルギー反応が出るくらいだった。

 この手の本を調べる様になったのは、ある先輩からもらった「引き寄せの法則」という本からであった。どうも胡散臭い、というか、オレにはできない、という訳で、積極的にはなれなかった。

 しかし、ただでは起きない、ということで、その手の本をいろいろ調べてみて、「これは使える」とすぐ分かったのが、セドナ・メソッドであった。

 だが、自分とセドナ・メソッドの相性というと、やはり、ポジティヴ・シンキング的なアファメーションとか、「抵抗の解放」つまり、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる様な状態の解放、については、どうも疑問があったり、抵抗は解放しにくかったり、ということで、使いこなせていなかった。

 同時期にすすめられもしたし、なかなか良かったのは、ホ・オポノポノだったのだが、これは、強迫的に言葉を唱えると言う点から、日常にあまり根付かなかった。

 それから、ニュートラルをテーマにしたものや、ネガティヴをテーマにしたものが幾つかあることを知り、読んでみたのだが、これらは参考になる程度だった。

 で、ゼロ思考、というのは、多分ニュートラルがテーマになっているのだろう、と放置していた。そして、古書店の値段が、まあいいか、という程度にまで下がった連絡が来たので、今回の本に手をつけた。

 まだ半分しか読んではいないが、要旨は理解していると思う。これは非常に乱暴な言い方だが、DNAの要求、司令に対して、素直である様な自分を生きる、ということが、物凄く大きなテーマとして書いてある本だと思う。DNAの指し示すところの快楽に忠実に生きる、とも言える。

 だが、これにはこれでまた、疑問が残る。亡くなってしまったが、ライアル・ワトソンという生物学というかマルチな人だったのだが、そのある主著のなかで、ミーム、という概念を提出していたのだ。

 ミームというのは、詳しくはおぼえていないが、DNAに対抗する、人間独自の生命情報の在り方、ということを指していたと思う。それは無意識だったり、DNAとは違う意味での生命情報としての集合的無意識だったりする、という。

 この考え方の背景にあるのは、DNAというのは、実は、別の生命体で、生命体というのは、DNAの乗り物である、という、今では有名な考え方にある。

 つまり、ミームというのは、DNAの命令に従うのではなく、人間という種の独自の主体性による新しい生命情報なのである。これは仮説に過ぎないのだが、ワトソン博士は亡くなってしまった。

 われわれがDNAの乗り物に過ぎず、それを超越できない、としたら、われわれは、永遠に奴隷だ、という考え方は可能だ。そういう見方があった上で、この「自分から自由になれるゼロ思考」というのは、本当に自由になれるのか、という疑問を持ってしまうのである。

 ただ、言えることは、もし、われわれがDNAの乗り物であったとしても、自分自身が何者であるか分からない人の方が、圧倒的に多数だ、ということだ。少数の人は自己は超越していても、DNAの乗り物のままかもしれない。さらに少数の人が、DNAをも超越しているのかもしれない。

 そうなると、自己の超越、ということについては、悲観的にもなるのだが、とりあえず、自分が何者かは知りたい、というのが、自分の場合、最大の欲求である。

 ゼロ思考については、通読してから、またレビューにでも書いてみたい。


   2011年3月11日以降の日記より
by bwv1001 | 2012-03-15 23:58