ひさびさに魚を食う
2012年 04月 06日
このところ、殆ど海のものは食べていなかった。もちろん、原発の汚染による害を危惧してのことである。だが、ホ・オポノポノを使ってクリーニングする、という対処をして、食ってみた。
食ったのは、近所のスーパーのさかなやさんで出ていた、鰯さんの握り。八カンで350円。それでも、自分としては贅沢である。半値ではなく、350円の特別サービス品だ。
産地はどこかというと、宮城沖、ということで、放射線の懸念はある。しかし、まだ、産地が正直に書いてあるだけマトモだ。正直に書いてあることもあって、買ってしまった。
武田教授の最近のニコ動では、どういう訳か、マグロさんとカツオさんだけは、放射能汚染が検出されていないという。これが、生態系からすると、謎だという。最後にいちばん濃縮されるところだと、素人も想像してしまうところだが。
鰯さんは、今年、このさかなやさんでは、初めて出た。昨年も、夏に一回だけ、二十カンというのが一度出たきりで、去年は一度、今年は初めて、ということになる。
最近食っているものといえば、ほとんどトルコ産パスタに納豆と玉子、というパターン。これをほぼ毎日一食。あとは、38円の豆腐を一食摂るか摂らないか。お米は大事に使っている。
麺類は、ホ・オポノポノ的には、食うだけで、人間の無意識の記憶をクリーニングする働きがあるという。それもあるが、パスタは、トルコ産のものは、1㎏198円、というのが日常的に近所で手に入る品物なのだ。四食か五食は食える。二束あれば、九食は食える。
燃料も節約している。以前は、圧力鍋でパスタを煮込んでいたが、それを上回る節約を可能にしているのが、はかせなべ。お湯が沸騰したら、パスタを入れて再沸騰させ、あとは、火を止めて保温調理すること、パスタに書かれている時間どおりに。はかせなべは、普通の保温調理鍋、あるいは真空調理鍋と違って、丸洗いできるから、臭いもつかず、清潔さが保てる。
本当はそばかうどんにしたいのだが、このトルコ産パスタが最も節約になり、腹持ちがいいから、飢えと戦わずに済む。
もちろんお野菜も食いたいのだが、お野菜は、いちばん高くつくので食えない。でも、たまにはカレーくらい食いたい。明日はごはんも炊いて、カレーを食ってみようか。ウチのカレーは、友人や先輩たちに出せるくらいに旨い。はかせなべとその研究を極めたレシピのおかげである。
これくらい食生活が厳しいと、たまに食えるお肉とか、お魚とか、お野菜はとても美味しく感じられる。食った喜びがある。かといって、いつものパスタも決して悪くはない。だから、同じものを食っていられるのだ。
幸福感を実感できるのは、実は、耐乏生活があるからだと思う。きょうの鰯さんの握りも旨かった。というか、旨く感じられるのだ。酢飯なんか最高に旨い。
明日はカレーを作ってみよう。体調が許せば。ズッキーニさんとかぼちゃさんのカレーなどは、最高に旨い。
こうなってみると、人間、何が幸せか、というのは分からなくなってくる。極貧というのは、実は今や、最高に贅沢な暮らし方であるのかも知れないのだ。
2011年3月11日以降の日記より
食ったのは、近所のスーパーのさかなやさんで出ていた、鰯さんの握り。八カンで350円。それでも、自分としては贅沢である。半値ではなく、350円の特別サービス品だ。
産地はどこかというと、宮城沖、ということで、放射線の懸念はある。しかし、まだ、産地が正直に書いてあるだけマトモだ。正直に書いてあることもあって、買ってしまった。
武田教授の最近のニコ動では、どういう訳か、マグロさんとカツオさんだけは、放射能汚染が検出されていないという。これが、生態系からすると、謎だという。最後にいちばん濃縮されるところだと、素人も想像してしまうところだが。
鰯さんは、今年、このさかなやさんでは、初めて出た。昨年も、夏に一回だけ、二十カンというのが一度出たきりで、去年は一度、今年は初めて、ということになる。
最近食っているものといえば、ほとんどトルコ産パスタに納豆と玉子、というパターン。これをほぼ毎日一食。あとは、38円の豆腐を一食摂るか摂らないか。お米は大事に使っている。
麺類は、ホ・オポノポノ的には、食うだけで、人間の無意識の記憶をクリーニングする働きがあるという。それもあるが、パスタは、トルコ産のものは、1㎏198円、というのが日常的に近所で手に入る品物なのだ。四食か五食は食える。二束あれば、九食は食える。
燃料も節約している。以前は、圧力鍋でパスタを煮込んでいたが、それを上回る節約を可能にしているのが、はかせなべ。お湯が沸騰したら、パスタを入れて再沸騰させ、あとは、火を止めて保温調理すること、パスタに書かれている時間どおりに。はかせなべは、普通の保温調理鍋、あるいは真空調理鍋と違って、丸洗いできるから、臭いもつかず、清潔さが保てる。
本当はそばかうどんにしたいのだが、このトルコ産パスタが最も節約になり、腹持ちがいいから、飢えと戦わずに済む。
もちろんお野菜も食いたいのだが、お野菜は、いちばん高くつくので食えない。でも、たまにはカレーくらい食いたい。明日はごはんも炊いて、カレーを食ってみようか。ウチのカレーは、友人や先輩たちに出せるくらいに旨い。はかせなべとその研究を極めたレシピのおかげである。
これくらい食生活が厳しいと、たまに食えるお肉とか、お魚とか、お野菜はとても美味しく感じられる。食った喜びがある。かといって、いつものパスタも決して悪くはない。だから、同じものを食っていられるのだ。
幸福感を実感できるのは、実は、耐乏生活があるからだと思う。きょうの鰯さんの握りも旨かった。というか、旨く感じられるのだ。酢飯なんか最高に旨い。
明日はカレーを作ってみよう。体調が許せば。ズッキーニさんとかぼちゃさんのカレーなどは、最高に旨い。
こうなってみると、人間、何が幸せか、というのは分からなくなってくる。極貧というのは、実は今や、最高に贅沢な暮らし方であるのかも知れないのだ。
2011年3月11日以降の日記より
by bwv1001
| 2012-04-06 23:17