あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

まともな食い物のないこの国で

 お料理する生活が、夢としての一つの選択肢として消えてしまった。もちろん、それは、原発事件によるものである。政治家も企業も官僚も、それに対して責任をとるつもりもなく、むしろ、自己を防衛し、原発を推進しようという手段に出ている。

 自分は、お料理の本を集めていたのだが、金銭的な問題とは別に、もう楽しんでお料理をする気にはなれなくなった。きのうははかせなべで、カボチャさんとズッキーニさんのカレーを作ったのだが、それも何か空しい気がする。

 お料理が楽しくできない、という重大な問題を、政治家や官僚や東電はどう考えているのだろうか。東電に勤める父親や母親を持つ子供はどうしているのだろうか。クラスから、「とーでん、とーでん」と言われてイジメにあっているのだろうか。政治家の子供は、親が政治家というだけで、威張っていられるのだろうか。官僚を親に持つ子供は、「お父さんは、会社でなにやっているの?」と聞かれて、誇りを持って答えられるだろうか。

 もう、いい加減に、馬鹿げた茶番劇はやめるべきなのではないか。小出助教の言葉を借りれば、日本人は、どこかに避難しなければならない、という状況なのだ。だが、そうした現実も、日常のなかで忘れられようとしている。

 忘れることで生きていける人はいい。だが、その忘れることで生きていく人は、他の人に対して、忘れることで何をしているのか。

 自分にはよく分からない。なぜ、たまたま日本に住む、いわゆる日本人は、よくもこう物忘れが得意なのか。だから、奴隷でいることに耐えられるのだろうが。

 自分は、忘れないために、奴隷にならないために、今が戦場であることを認識しておくために、こうしたことを書いている。

 可哀想なのは、なんと言っても、子供たちであり、人間とは違う生き物さんたちである。数年後には、結果は形になって現れるであろう。

 NHKは、文明論として、原発は人間の本性の結果として、原発事件を処理しようとしていた。荒俣宏氏が出ていた番組である。だが、原発ついて、文明論ではなく、本来、それぞれの人が判断を下す義務があった筈である。判断をした人もいた筈なのだが、権力は、権力を以て原発を推進した。ならば、責任の所在は明かであろうが。

 それすら明かにせず、虚構の安全、虚構の平和を生きていくことに、いったいどれほどの価値があるというのか。

 お料理一つにしても、楽しめない新しい時代、逃げられても、逃げられなくても、苦しい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-04-07 23:06