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あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

反原発集会に行ってきた

 日比谷の反原発集会に行ってきた。

 最初は、近所の集会の様子を見てみたのだが、内輪と議員による話しばかりで、「あんまり意味ないなー」という感じで、抜けてきた。

 日比谷の集会もそうなんだろうか、と気になって、ハイアーセルフなどとも話してみたのだが、行ってみることにした。

 日比谷公園の集会は、幾つもの催しがあったが、何かしらの形で、震災と原発とがテーマとなっていた。日比谷公園がこんなにごった返しているのを見たのは初めて。

 いろんな人がいろんな音を出しているので、多分黙祷するであろう時間は、その音に塗りつぶされた。自分にとっては、異文化なので、とりあえず、どんな世界なのか様子を見よう、という感覚であった。

 だが、昨年の6月11日、新宿のデモを体験したが、あのときの様な爆発感は感じなかった。実際、多くの警官と何か起こしたり、あるいは、誘爆される様な感じはなかった。それほど、6月の時は、切迫感があり、非日常的であった、ということがいえる。

 今回は、そういう切迫感はなく、かといって、喪に服する、というでもなく、「とにかく集まってみた」という感じなのではなかろうか。

 それでも、集まった人は多く、日比谷公園から出発するのに時間がかかった。警官に誘導されてデモを始める、とでもいう様な感じである。

 公園に座っていたときに、三歳にならないくらいの子供が、プラカードを配っていた。本当に可愛い子供だったので、受け取らない訳にもいかなかった。プラカードには、原発作業員のイラストが画かれ、その上にenoughと書いてあった。いろいろ皮肉な意味にとれるが、選ばれた言葉だったのであろう。

 報道も来ていたが、多くは外国のプレスで、日本からはあまり来ていなかったのではないか。近くには、にゃんこさんをつれて参加している人がいたので、その人が、外国のプレスの注目の的になっていた。

 やっと出発したときは、ずいぶん気温が下がり始めていた。東電本社の前も通ったのだが、不思議なことに、東電に対する罵声を浴びせる人が近くにはいなかった。

 人通りのない西銀座から銀座に入り、そこでやっとトイレに。

 そして、虎ノ門、霞ヶ関、と廻って、日比谷公園で一旦解散。解散した人たちは、国会議事堂を目指す。

 官庁を廻って、気になったのは、半旗を掲げているところと、そうでないところがあった。喪章の黒をつけていたところは目にしなかった。

 国会議事堂に着く頃には、もう暗くなっていたが、大勢に配られたろうそくに火が点っていた。雨が降り出した。

 近所の先輩と合流して、情報交換をする。携帯がなければ、こういう技は利かない。というか、このデモ自体が、ネット社会が存在しない限り、不可能であったろう。どんな会派にも所属しない人たちが、多くであると思われる。

 ちなみに、先輩から聞いた話だが、新宿のデモの時の警察の調べ方はかなり酷かったらしい。容疑もはっきりしない人を捕まえて、「こんな大きな集会は、背後に組織的な関与がなければ、起こる筈がない」と、取り調べを続けていたらしい。としたら、警察は、このデモの性格をよく分かっていないのかもしれない。ネットでこれだけの人が集まる、ということが、警察の上役には想像できないらしいのである。

 国会議事堂で、まるで茶番の様で、個人的には大したことではないのだが、「人間の鎖」というパフォーマンスをした。国会周辺の道路を、人で囲み、横断歩道が青になると、人々が飛び出して、国会を環で取り囲むのである。二回くらいあった。

 意外と淡泊に、それが終わってしまったが、そのあとは、首相官邸に向かう。途中、国会議事堂駅でトイレ。とにかく、デモはトイレが大変なのだな、という実感。

 首相官邸には、多くの人がやってきたために、たくさんの人たちが、たどり着けなかった。そのことが分かって、そこから地下鉄で、先輩と帰った。

 先輩と話していて、幾つか分かったことがある。二人とも、原発の問題には、深入りしていて、一般的にあまり意識されていないことが、われわれにとっては常識だったりする、ということが分かった。

 たとえば、オレと先輩が怖れていることの一つが、「4号機使用済み核燃料プールの崩壊」というのは、実は一般的にはあまり意識されていない、ということであった。オレが、毎日、地震情報をチェックしている大きな理由の一つにはそのことがある。

 ただでさえ、地震で崩壊しているプールが、再度地震でやられたら、終わりである。福島だけでは済まない。東京だって、露骨にやられてしまう。プールが崩壊しては、もう、燃料を安全な状態に戻すことはまずできないのである。また、地震が来なかったとしても、その処理というのは、とんでもなく難しい作業であり、何年もかかる作業なのである。

 もう聞きたくない、というのが一般的な感覚であると思うが、オレみたいな臆病者は、事実を知ることでしか、次の判断を下すことはできない。

 オレがお金持ちで、言葉ができたなら、別の国を居場所に選んだかもしれない。

 主体的に、デモを終始体験した、というのは、これが初めてのことであった。


   2011年3月11日以降の日記より
by bwv1001 | 2012-04-13 22:34