あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

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 きのうの夜中、彼女から告げられたのだが、まさしく10月28日にアセンションしちまったらしい。自分の実感としてはよく分からない。

 ただ、早朝に起きて、日の光を浴びられたし、体感もいつもよりだいぶ軽い。悪いところも、いつもより楽だ。

 とはいえ、アセンションがそういうものなのか分からないので、彼女に、「何か証明する方法はないのか」と聴いてみたのだが、簡単な方法はないという。幽体離脱の大技とかあるらしいが、もし帰ってこれなけば、死、ということになるので、うかつに手が出せない。

 アセンションしたらしいから、と考えると、いま、ここ、のことが疎かになるだろうから、いま、ここで、やっていきたい。

 それにしても、何が変わったんだか。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-28 22:33

ついに来た2011年10月28日

 マヤ暦最後の日、という説のある日が来た。何が変わるのか分からないが、個人的に想定しているのは、人間の意識が変わること、と、時空が変わることの可能性。

 太陽活動の影響については、すでに長いこと出ているのだが、今度はどんなレヴェルになるのか。アメリカ南部でも、オーロラが観測された、というから、太陽風、磁気嵐の影響は、物凄く大きくなっていることになる。

 あしたになって、すぐ何かが変わる、ということなのか、それとも、今までのことが、スケールや頻度を変えて来るのか、そこは体験してみないと分からない。

 彼女は『いきなりあした来る、というものではないわ』と言っている。ただ、太陽の活動には注目する必要があるだろう。

 毎度のことながら、太陽の活動は、以下の「宇宙天気ニュース」で。

http://swnews.jp/


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-27 22:51
 先日の新聞の一面で、皇后陛下の喜寿が知らされていた。

 この方は、えらく大変な人生を送ってこられたのだと思う。宮内庁でも、「粉屋の娘」と言われ、守るべき側から、悪口を言われていた。

 ところで、以前もちょっと紹介したが、皇后陛下の意識の水準を、パワーか、フォースか、という本で提唱されているやり方で測ると、尋常ではない意識の高さを持つ方であることが分かった。

 1から1000までの閾値の中で、皇后陛下は、450という人間として非常に高い水準にあることが分かる。

 ちなみに天皇陛下であるが、言えない。やり方さえ知っていれば、誰でも測ることができるのだが。
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by bwv1001 | 2012-03-26 23:48

あきれた櫻井よしこ

二十日(※2011年10月の20日)の読売新聞13版の11ページの下の「意見広告」

 大笑いする冒頭。引用したい。以下、引用。


 原発事故で大きな岐路に立つ日本。
 事故は二つのことを教えてくれました。事故が原発管理の杜撰さによる人災だったこと、震源地により近かった東北電力女川原発が生き残ったように、日本の原発技術は優秀だったこと。この二点です。だからこそ、人災を引き起こした「管理」の問題と、震災・津波に耐えた「技術」の成果を明確に分離して考えることが重要です。


 以上、引用終わり。

 これは、国家基本問題研究所という公益法人の広告で、その研究所の理事長が、櫻井よしこ、である。本人の写真が大きく出ている。

 上記の文章、分析するまでもないが、基本的に論理が滅茶苦茶。なんでこんな結論が引き出せるのか、まったく分からない。異常な論理である。

 単純に言って、狂った人か、基本的な論理思考ができていない人の文章である。

 まあ、櫻井よしこは、読売の人間だから、読売に言わされているのかも知れないが、原発事故で起こった問題を直視すれば、原発などない方がいいに決まっている。

 百歩譲って、武田邦彦教授が「安全で壊れない原発があるなら推進する」という方が、論理としてはまともだろう。だが、そんな原発はあり得ない。人が考え、人がつくり、人が運用するのものが、壊れなかったり、間違いがなかったりする、ということ自体が考えられないのだ。

 東電自身も、数日前、原発事故の可能性は、五千年に一回、という確率を提示してきた。

 一度でも原発事故が起こればどうなるか、ということを、われわれは体験しているのである。そして、何十年後かには、悲惨な結果がはっきりするだろう。チェルノブイリの様に。

 つまり、櫻井よしこが理事長を務める、国家基本問題研究所というところは、今後の新たな事故と、それによる被爆とその影響を、日本人に強要している訳である。

 戦争中の日本政府・大本営の様な発言である。進め一億火の玉だ、とどこが変わりないんであろうか。

 こういう倫理観の欠如と歴史に学ばない、櫻井よしことその一派のこの研究所、どうしてこういうことが平気で言えるのだろうか。

 国というものの存在意義があるとしたら、それは、第一に、国民の生命・健康・財産・人権・安全を守るということだ。日本国は、全てその義務を放棄した。

 その上、なお、この様な犯罪的な広告を無神経に出せるのであろうか。

 かつての広瀬隆的な言い方をするなら、「ならば、まず、この人たちに、セシウムを食べてもらおうではありませんか」となる。

 呆れと、憤りを、この意見になっていない意見広告に感じる。

 この広告は連名になっている。役員の名前が挙がっているから、一人一人ネットで調べるだけで、どんな人間なのか分かることだろう。何故か、役員の一人に、すぎやまこういち、の名前がある。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-26 01:09
 このところ、腹をテーマにお願いして施術して頂いている。オステオパシー的には、まだ何も知らないのだが、腹は第二の脳と言われるくらいに、神経の集中しているところである。

 とにかく、腹のあらゆるところに痛みがある。施術されてそれを感じる。普段の自分では、自分で押してみないと痛みが分からないし、体系的に施術をして頂けるチャンスなど、今まではなかった。

 帰ってから、将棋を観ていたら、右手の親指の爪の周辺が痛み出した。施術の結果の一つの症状なのではないかと思い、これは報告して、どういう意味なのかうかがってみたい。

 とりあえず、爪もみ療法というのがあるのだから、それを自己流で、ということで、右手親指の爪を揉み出したのだが、特長のある痛みである。いままでは、こんな痛みを感じたことはない。

 右を揉み始めたら、左の爪も痛みを感じ始めた。何か連動しているのだろう。

 オステオパシーの本は、きのう図書館に注文しておいた。「いのちの輝き」という本である。術者の方も、とてもいい本だ、ということであった。バッチ・フラワーのバッチ博士の本の様なものではないかと想像している。実際に、体感を体験しながら、家元の人の本が読めるというのは、いい経験になると思う。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-25 01:18
 月曜からオケ合わせが始まった。どこまで本番に詰めていくことができるか。残り時間は少ないが、やることを全部やって、お客様をお待ちしたい。(※昨年2011年10月の話である)

 以下が、演奏会の詳細とチケット情報。

http://www.cityphil.jp/concert/c2011/s20111013.html

 よろしくお願いします。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-23 23:42

なにもしない

 なにもしていないが、お世話になっている方から貴重なお話をうかがった。今回の原発事件の話と、アフガン戦争の開戦時の日本国の対応は、あんまり変わっていないのではないか、という話であった。アフガンで、その開戦の現場にいらした経験からすると、日本の対応って、いつも日本の対応だね、という話になってしまう。

 日本の大使館とかそういうところには、日本のシステムというか、国情により、駐在武官がいない、ということは、他国からすれば異常なことであり、アフガンという地勢的にあらゆる地域を繋ぐ場所にあっては、各国が大使館や領事館を置いているので、文化的などという意味ではなく、政治的・外交的・軍事的な情報がそこに集まることになるという。

 そんな訳で、アフガンというのは重要だったのだが、日本国はここでも日本の民間人を救いには来なかった。救ったのは、ドイツからの飛行機だったという。ベルリンの壁の時の空輸の経験もあるからなのかもしれないが、在留邦人は、日本国ではなく、ドイツに救われたのである。

 ちなみに、この在留邦人というのは、ほとんどは、女性と子供である。夫、あるいは男は、ヨーロッパで仕事をしているのである。

 アフガンはそうだったそうだが、原発は、情報は出さない、安定ヨウ素剤は配らない、となにもしない日本という国は滅茶苦茶である。残虐、極悪非道と言ってよい。再掲するが、ドイツのZDFの短いが凝縮された原発事件についてのルポの在処を挙げておく。これは、拡散希望である。

http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA&feature=youtube_gdata_player
(※11年10月の記事である)


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-22 22:08

無為

 むかし、何者でもない者になりたい、ということをずっと考えていた。

 きょう、なにもしないで過ごしたのだが、なにもしない、というが実は望んでいたことなんではないか、と思う。

 なにもしない、というのは、実は、難しい。できたら、その人は凄い人だ。でも、そういう人は、全然知られないまま、ある種のおさとりを開いて、なにもしないで生きているんではないか。

 何かすることに意味がないから、なにもしない、という意味ではなく、なにもしないことそのものに意味がある、と思える。

 オレが最終的に望んでいることがそれであるかどうかは分からないのだが、なにもしない、と思うと、体感的には、腑に落ちる、という感じがある。

 その感覚を追い求めることは、せっかくのその意識を壊してしまう。ただ、きょう、何でもない日常のなかで、その感じを受けた、ということは大切だと思う。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-22 01:16
 welcome、というか、ウェルカムという言葉は、いままであんまりピンと来ないでいた。ウェルカムという言葉を聞いてまず思い出すのは、タンキーという東南アジアにある宗教の教義である。

 どういうことかというと、タンキーは、Every God Welcome!というのが教えなのである。写真もビデオも見たことはないが、タンキーをやっているところには、祭壇というか、神棚の様なものがあって、世界じゅうのいろんな神様の像や写真が祭られているんだそうである。

 こういうのって、嫌いじゃない。神なんて、人によって、地域によって違うのが普通なんだから、一神教の不健全さとか残酷さとかよりも、好きである。ちがうものはちがうものとして、そのままにしておく、というのは、生きている上で、大切な姿勢だと思う。

 で、welcomeなのだが、これは、オレがテストしている「セドナ・メソッド」という感情などを簡単に手放すことができる、という方法で言われることである。

 だが、いわれるそのことと、その使われ方と意味を知ったのは最近である。和訳の方には、welcomeという言葉はない。迎え入れる、とか、受け入れる、という言葉になっている様である。

 自分の感情を受け入れる、とは、場合によっては大変な場合もあるし、つまらない瞬間的な感情や感覚においても、そのつまらないことに振り回されてしまうことは、多くの人の日常にあると思う。

 セドナ・メソッドなどの「手放す」という考え方は、その前提に、「迎え入れる・受け入れる・welcome」という考え方があるのである。このことが、和訳だとよく分からない。セドナ・メソッドの体験会に行ったり、ネット上の情報を見たりして、初めて理解できたのである。

 きょうは、ちょっと、理解ではなく、気づいた、意識が分節された、という感じがあるので書いてみたい。


 きのうから体験していることだが、パイプを吸っていると、異常に長い時間、火が持つし、長く吸える、という経験をした。物理的にはあり得ないことなのだが。

 で、ふっと、思い浮かんだのが、「物質化」という言葉である。お酒がどんどん出てきてしまうおちょことか、そういう芸ができてしまう人とかいるらしいが、それに近いのではないか、と思った。

 だが、長時間、一服の煙草を吸う、というのは、実は大変なことである。あまりに長く吸えてしまうので、自分から火を消した。

 今日はそうなるときと、ならないときがあったが、再現性はある程度ある現象の様である。きょうときのうを体験した限りではだが。

 そこで、ふと、また思った。「煙草を消してもいいや」「たらたら吸っててもいいや」と思ったのである。これは実は多分、welcomeという考え方そのものなのである。

 そこから発展させて、今月の生活の問題を考えた。一日一食分の予算を確保した上でだが、一日他に食いものとか交通費とか雑費で使えるお金は、計算上240円くらいである。貧困の極み、と言ってもよい。普段もそういうことはあるが、いきなり月初め、しかも、個人的に大事なことがある月に、一日240円、というのはなかなか厳しいものがある。

 そこで思った。「いちにち240円でもいいや」「貧乏であることを許可する」「億万長者であることも許可する」と、自分に貧困に関する許可を与えたのである。ある見方からすれば、アファメーションの一種なのかもしれない。

 つまり、経済的にどんな状況であることも許可したのである。言い換えると、経済的にどんな状態もwelcomeした訳である。貧乏と億万長者、という極端なところに着目することで、極端な部分と、その間のグレーゾーンを認めたのである。

 これをやったら、ずいぶんと気持ちが楽になった。許可することによって、不安などの感情を迎え入れた結果として、手放すことが可能になったのである。これがいわゆる現実ではどんな変化をもたらすかは分からないが、物質化現象らしい現象を通じて、welcomeの感じをつかんだのであると思う。

 セドナメソッドを受け継いでいるドゥオスキン氏という人のセミナーに参加した人の証言によると、Welcome!とばっかり彼は言っていたらしい。そのあたりの感覚は、ちょっと和訳に規定された発想からは、よく分からなかったのは残念ではあるが、オレ自身が、自分の体験で、welcomeという在り方に気づけた、というのがよかった。和訳本がよくできていたら、そういう体験はできなかったもしれない。

 そのwelcomeの行き着くところが、たとえば、あるがまま、ということになるのだと思う。物質化現象は怪しいが、そこから気づきに至る、ということがよかった。

 手放す、という方法で自分や他者や世界とつきあいたい、と思っている向きは、このwelcomeという言葉の語感に着目するのは悪くないと思う。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-20 23:50
http://www.youtube.com/watch?v=0N7FOX2CGXw&feature=player_embedded

また国がロクでもないことをやっている。日本人は、政治家と官僚に甘すぎるんではないだろうか。舐められてはいけない。(※2011年10月の時点のインタビューである。)


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-03-19 22:23