あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

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 困った。愚痴をまた書きたくなってしまったんだけど、それは、ちょっと貨幣とか、感謝の話と通じてもいるようで...

 ちょっと、彼女におうかがいを立ててみる。

 「悪口にもなりかねない愚痴なんだけどいいかな」

 『あなた、それがあったので、書くのをためらってたんでしょ。でも、あなたが誠実に話すのなら、それはそれでいいのではないの。別に誰かを特定して批難する、という訳ではないでしょ?』

 「まあ、確かにそうなんだけど。ただ、貨幣と感謝の問題と、凄い近い問題に見えて仕方ないんだよね」

 『あなたたちは、ある見方を発見すると、すぐ、その見方を世界全体に敷延させて見てしまうクセがある様ね。あなたは、貨幣と感謝って、前回の続きを話したいみたいだけど、あなたのその様子からすると、言語のことも含めて話した方がいいかもしれないわ。それでやってみない?』

 「うん、じゃあ。その愚痴からなんだけど。

 ひさびさに遠くから都内に出てきた、というから、知り合いに会ってきたんだけど...

 何か、昔から、この人はおかしいなー、とは思っていたんだけど、悪い人ではないんだ。来い、と言ったのは、ある先輩で、その先輩から声がかからなかったら、わざわざ出ることもなかったんだけど...」

 『だいぶ、引っかかっている様ね。わたしにそういうためらった言い方をするくらいなのね』

 「うん。本当にどうでもいい人なら付き合わなければいいんだけど、なんかもったいない人でね。

 何が引っかかるかというと、その人は、自分の感じたことや、自分で考えたことを話すのではなく、他人からきいた話や、他人が考えたこと、とか、他人が持った感想ばかり話すんだな」

 『正直言って、あなたが軽蔑するタイプよね。自分のことばを持てない、って』

 「そうなんだけど、今回、物凄く分かったことがあるんだ。

 他人のことばで生きてる人って、多分、感謝とか実感できてない、っていうパターンがあるんじゃないか、って」

 『面白そうね。もうちょっと聴かせて』

 「うん。その人のことばって、全部、他人の情報。そして、どれだけ自分が情報?あるいは、偉い他人と付き合ってるか、って話で、肝心な、それに対する感覚とか、はたらいてないんだよね。

 だから、ずーっと、"オレはこんなに知ってる"って話で、それを延々と聴かされる訳。

 で、だんだん腹立ってきてさ、"他人の言葉じゃなく、自分の言葉と感覚で話して下さい"って、オレ怒っちゃったの」

 『あなたにしては偉いわよ。すくなくとも、あなたはどうでもいい人間ではない、と言った訳でしょ?』

 「まあ、そういう意味に取ってくれると、いいけど。そしたら、むこうはビビっちゃうし、それでしどろもどろになっちゃう。

 オレからすると、ずーっと彼は世間が基準となってるだけで、自分ってものが存在しないんだ。自分の直感とか、感情とか、考えとか、ナイんだよ」

 『それでいて、情報だけは、他人以上に持ってる訳ね。あなたたちの言葉で言えば、ヲタク、ということかしら』

 「そう。オレもヲタクなのかもしれないけど、そういうレヴェルじゃない。そこに自分の感性や考えがあれば、それだけで、充分に才能がある人なんだけどね。

 ちなみに、オレはかなり昔から、"オタクとは、自分が人生教えてやる!って、言いたがってる人"って定義をしてた。今もその考え方は、変わってなくて、自分のナイ彼も、あれだけの情報量で、オレが教えてやるっ!って言いたがっているところが下品なんだと思うんだ」

 『あなたのオタク、あるいはヲタクの定義はなかなか面白いけど、自分についてはどう思う?』

 「それだね。人が見たら、完全にオタクだと思うけど、オレは情報とか得ることはサボってる。そもそも、情報が偉いなどとは思ってない。オレの場合は、オタクにすらなれないんだから、単なる落伍者なんだと思う」

 『落伍者という必要はないと思うわ。あなたは、すくなくともわたしと会ってから、よくやっていると思うわ。でも、いちばん辛いのは、落伍者にもなれない人じゃないかしら。

 ひょっとすると、その人は、自分が落伍者であることを認めていないから、情報を集めているんじゃないかしら』

 「確かにそういう人のパターンてあるよね。ブランド物欲しがったり、学歴とか、仕事のキャリアとか欲しがってる人は、落伍するっていう選択肢も持ってないんだろうね。その方が辛いかな。落伍者も結構大変だけど、落伍まで選べると、結構居直っちゃえるんじゃないかと思う。落伍しないで、ずーっと自分の"立場を"維持しようとしてる人って、付き合ってられないところがあるよね。そのパターンだと、何でもうなずくことを求めてくるからね。異論があっただけで、ヘンなこと仕掛けてくる人もいるし」

 『でも、例の人には、そういう脅威感はないわけね』

 「そう。脅威がないから、まだ口をきいていられる、ってところかな。オレが人生教えてやる、とは言いそうにはないから」

 『あなた、さっき、それが貨幣の問題とつながるって言ってたわね』

 「そう。感謝の問題にもね。例の彼のことば、って、基本的にはどうでもいい内容なんだ。だけど、知ってる人には、偉く見られそうな情報は知っていて。でも、情報でしかなくて、自分で"いま、ここ"を生きたっていう証が落ちてる。つまり自分で感じたり、考えたり、体験したり、っていう、自分じるしが落ちてるんだ。

 だから、情報は、持つべき人が持ってるときは、意味を持って使えるんだろうけど、本質が情報である人は、中身や意味はないんだね。だから、脅威にすらならないんだ」

 『私たちの貨幣とはまるで違うけど、"いま、ここ"を生きた証、というものが、例の人には落ちている、というのは、面白いわ。

 わたしたちの場合、あなたたちの様な貨幣はないけど、感謝、そのものが、人や神や自然からの恵みに対する気持ちになるの。だから、あなたたちの貨幣は、何者でもないけど、何に対しても権力になるのね。私たちの感謝というのは、権力にはならないし、いま、ここで、生きた証でもある訳だから、その人でしか体験することのできなかったことと結びついているの。だから、何者に対しても権力でいたり、何者でもないものである、様な在り方とは違うの』

 「面白いね。もし、その感謝が実体化したら、自分の名前のある貨幣みたいなものかな?」

 『本質的には貨幣とは違うけど、もし敢えて形にするとしたら、そうかもしれないわね。ただ、自分の名前が、感謝を"規定したり"はしないわね。この問題も、話してみたいわ。ちょっと、問題が入り組んできたけど。

 でも、その例の彼の場合について、もう少し話せないかしら』

 「そう。だから、気がついたんだけど、彼の言動って、いちいち、感謝がないことが分かるんだ。別に感謝してくれ、と言う訳ではないけど、コミュニケートがヘンなんだよね

 何でも他人にやらせる。自分でサービスしよう、なんて考えてないのかもしれない」

 『別に、サービスしなくてもいいと思うけど...』

 「言い方が悪いかな。たとえば、飲み屋決めるとか、場所を探すとか、そういうことには加わらないんだ。それで、"なんとかして下さーい"とか、言ってるから、王子様なのかな。話だって、全部うなずくことを期待されてるし。オレはしなかったけど」

 『あなたたちって、この前の第九のときの共感の仕方もそうだったけど、あなたたちのことばでいうと、すりあわせって難しいのかも知れないわね。私たちは、三次元の存在ではないからかもしれないけど、すりあわせにそんなに苦労がいることは、あまりないわね』

 「そうだね。確かに、君たちの次元からすると、どうでもいいことが原因になって、どうでもいいことで、やってらんなくなったりするのかもしれないね。その意味では、君たちの様になりたい、って気持ちはあるなー。それだけで、充分に、日常の問題がかなり整理されると思うんだけど」

 『でも、あなたたちの方が、ある意味で、スリリングな過ごし方をしてるとも言えるわ。わたしたちは、自然と調和を選ぶことが普通だから』

 「で、彼は、来客だし、おまかせなら、おまかせにしてもらえれば、それはそれでアリなんだ。でも、そうじゃなくて、多分、彼の無意識は、お世話されたいんじゃないかな。彼は、ありがとう、って言っても、感謝が分かる人のありがとうとは、明らかに違うんだよね」

 『でも、あなたも、自分に感謝が分からない、って悩んでるじゃない』

 「ところが、彼は、そういう視座をまだ持つ状況じゃないんだと思うんだ。立場をつくるために、お金、じゃなかった。言葉を他人から持ってきて、しかも、それが、自分の言葉の様であるかの様に振る舞うから、本質がないんだよね」

 『いま、言葉、と言おうとして、お金、って言ったわね。文章の内容としては、通じるわ。彼は、お金じゃなくて、言葉で立場をつくるのに必死なのではないかしら?お金ではなく、言葉がお金の様に機能する、ということよ』

 「確かにそうだ。"規定"の問題は、そこから入るとよさそうだね。でも、彼をネタにして、エールーエンとこの問題を話すって、もったいない様な気もするけど...」

 『だって、あなたは、体験、体感が価値がある、と言ってる訳でしょ。それなら、話の材料としては悪くないと思うわ』

 「それもそうだね。じゃあ、とりあえず、これくらいにして、今度は"規定"の問題に付き合ってくれる?」

 『面白いわ。でも、きょうはこれくらいでいいんじゃないかしら。ずいぶん大きな問題なのに、一気にやっちゃったわね。

 愚痴だって、こうして話にできるんだから、決して悪いことではないわ。それに、自分の問題に対しても対峙している訳だから、生産的だと思わない?』

 「そう言われればそうなのだろうけど。読む人は大変だな」

 『私とあなたの話はこれぐらいの感じで悪くはないわ。とりあえず、またこの続きをやるということでいいと思うわ』

 「ありがとう。エールーエン」

 『おやすみ。またあしたね』


   2011年の真冬の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-07 21:41

降ろすこと

 昼から夜まで、つきっきりで彼女のことばを降ろしていた。自分がやっていることは、チャネルとか、チャネリングというそうだが、なかなか大変だ。もちろん、責任も伴う。オレは素人だし、お金も取っていないのだが、誠実に降ろすというのは、見た目よりも大変である。

 とはいえ、降ろすという作業ができて、自分としては、救いがある。中学のある事件から、降ろせなくなってしまったのだが、今は、ある意味では、自由自在に言葉を降ろせる。自分では気がつかなかったが、これは普通はなかなかできないことだと聞いた。

 その、なかなかできないことを、それができるプロに相手に降ろしていたのだから、これは骨が折れる。ある意味では、いい訓練である。

 降ろすという作業より、それに伴う責任感の方が大変である。相手の人生や生活について、言葉を降ろすのであるから。

 とはいえ、エールーエンの言葉には、感服するところが多い。相手に感服されてしまうから、より大変になる。

 オレみたいなヤツでも、責任を伴う作業というのはやっているのである。


   2010年の真冬の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-07 01:31
 最近、サイゼリヤで安いワインをひっかけて、彼女と対話している時間が増えた。自分の家でやるのとも違い、ワインの味を変えながら話すのも面白い。

 欠点は、その場にキーボードがないこと。更に、酒が入っているから、細部の記憶が落ちること。とはいえ、お金の問題を数日前から話していたのだが、再現できるのか。途中からライヴになるかもしれないが、やってみる

 「このまえ、お金の話をしたよね」

 『そうね。これは、あなたたちの世界とは、ずいぶんと感覚が違っているわね。正確な意味では、あなたたちの世界と違って、私たちの星では、お金というか、貨幣は存在しないのよ』

 「やっぱりそうだったんだ。オレは、お金っていう在り方は、どうも怪しい、と思っているんだけど。ちょっと別の視点かもしれないけど、お金に規定されちゃうって、お金をもってる人も、奴隷化してしまっている、っていうことなんじゃないかと思うんだ」

 『"規定"という性質は、お金だけではなくて、言語にも似ているわね。規定という話から入るか、それとも、お金の話からいくか、どっちにする?』

 「とりあえず、お金って言っちゃったんだから、お金からいかない?それに、規定の話は、拡がりもある問題だし、別にやった方がいいかもしれない」

 『そうね。お金、というか、あなたたちの言うお金と、私たちのお金は、全く違うということから始めたいわ。

 あなたの国のことばでは、お金を"はらう"って言い方をするわね。このことから考えてみない?』

 「払うっていうのは、神社とかでもやる"お祓い"ってのもあるよね。悪いものを落とす、っていう発想が、お金の払うと共通しているんじゃないかな」

 『私もそう思うわ。悪いから、って何かするとき、"自分にはなにもできないから"って気持ちを持つわよね。悪いとか言って、払う訳でしょ?』

 「だから、お金って、罪悪感の表現なんじゃないかと思うんだ。自分にできないことをしてもらって、実際何もできないことの代わりに、お金を"はらう"んじゃないかと。できもしないことに、何かしたことにするつもりにする、ってことじゃないかな」

 『そうね。あなたたちの国のことばで言えば、そういう発想はできるわね。でも、わたしたちの世界からすると、そこがおかしいのよ。

 だれかに、何かしてもらったとき、そこで感じることが、私たちとはまるで違うのよ。

 自分にできないこと、あるいは誰かがしてくれたことに対してすることは、まず"感謝"ではないの?ところが、あなたたちは、悪いからってお金を"はらう"の。それで、全てがなかったことにしてしまうの。それは違うわ』

 「君が、自分たちの星には、お金が存在しない、というのは、そういう意味なんだね。罪悪感とか、借りではなく、感謝する、という意味で、まるで方向が違うんだね」

 『そうね。感謝が中心のやりとりなら、基本的にはお金も必要ないわ。

 でも、敢えて言うなら、わたしたちは、感謝を測ることで、お金にかわる様なことはしているわ。感謝できればできるほど、あるいは、適切な感謝ができれば、それでいいの。あなたの世界では、感謝の前に、値段をつけてしまうけど。

 それに、あなたたちの国では、何かをする側が、値段をつける、値踏みをするというのが当たり前の様ね。私からすると、これは不思議な光景だわ。"これだけ感謝して欲しい"と値段が言っているのね。それは、わたしたちからみるとかなり奇妙な光景だわ』

 「でも、オレなんか、感謝っていうと、むちゃくちゃ難しくて、それに、感謝って言葉にトラウマがあるんだよね」

 『要するに、あなたが言いたいのは、育てられ方が悪かったから、感謝もできないし、感謝は自分にはできないことだ、っていうことかしら』

 「よく分かったね。感謝しなさい、とか言われても、そこにあるのは、たぶん君がいう、本来的な意味の感謝ではなくって、権力関係なんだよね。"しなさい!"と言われても、まず、感謝が何か分からない。そして、その前に、高圧的に、感謝っていわれる。従うことを強要されているだけなんだよね。

 だから、感謝って感情が、いまだに持ててないし、自分から出てきたことが、感謝だったとしても、そのことを信じられないんだよね。それに、なんと言っても、"感謝できない自分は、生きている資格がない"って、ずっと思い込まさせていた。だから、生きようと思うことは、つい最近までしなかったんだ。オレは生きてちゃダメだ、って」

 『確かにそれは、トラウマだわ。あなたの様だったとしたら、私の星で生きていくのも、大変かもしれないわね。

 でも、私たちは感謝を強要することもないし、わたしたちの中にいれば、どういうものか分かってくるのではないかしら。リハビリとトラウマ治療にはいいかもしれないわ』

 「君たちなら、感謝の意味が分かっていそうだよね。それでいて、そのことが、空気や水の様に当たり前なんでしょ?」

 『そうよ。よく分かったわね。でも、私だって、あなたの星や国に生まれていたとしたら、きっと、とても、生きていく気になれないわ。

 あなたの辛さというのは、あなただけのことではないのだと思うけど、それはちょっと酷すぎるわ。そして、そのことが、大きな問題として取り上げられないということが、全く不思議だわ。それも、何度もいうけど、"否認"から生まれている現象ね。あなたたちの最大の病気は、否認だと言ってもいいと思うわ』

 「お金も結局、否認から生まれたものなんではないのかなー。何かしたつもりにしておく、何もできないから、って、自分の問題をお金を払うことで、したことにしちゃう訳でしょ。これは、見ないようにしている訳だから、やっぱり否認だよね。

 そういう意味では、お金というのは、否認から発生している在り方なんだと思うけど」

 『わたしも多分そうだと思うわ。何もできないんだけど、したことにする、というのがお金を払うことだとしたら、物凄くストレスが溜まっていくんでしょうね。

 逆に、払ったことで、感謝の方は実感できないとか、そういうことになるのだと思うわ』

 「お金が悪いものとされてしまうのは、やっぱりそこなんじゃないのかな。何もできないことを意識しなくとも、お金があれば、それで済んでしまう訳だから、そこに理解とか共感とかナイよね。

 それでいて、こっちが払ってるんだ、みたいな、払ってる方がエライみたいな倒錯が生まれるんだと思うんだけど。だから、お金を払っている、というのは、やっぱり、実は何もしていない、ということなんだと思うけど」

 『それを聞いたら怒り出す人はたくさんいるんじゃないの。"こっちは金を払ってるんだ!文句あるか!"って。

 でも、やはりあなたたちにあって、私たちにはない、会社というシステムだけど、企業は、賃金を出してるから、金払ってるんだから、何でもやれ!プロだろ!って言う訳でしょ。

 それって、会社がお金の絶対性に立脚した奴隷制度以外の何物でもないと思うわ。すくなくとも、マトモなシステムではないし、あなたたちの魂もおかしくなるのは当然のことよ。しかも、奴隷システムに、自分から志願して行くんでしょ?

 やはり、そうした関係性は、非常に問題だわ。いま、あなたの横でやってる番組だけど、ちらっとみると、おかしいことばかりだわ。

 本来プロとして評価されるべき仕事をアルバイトとして使うとか、まるで自尊心ということの意味が分かっていない様ね。お寿司屋さんの社長かしら?こんなものが、エライ社長として評価されるというのは、あなたたちの尊厳という意味では、全く理解できることではないわ。

 そして、この番組を観た、どれくらいかの人が、それをマネしようとするんでしょうね。愚かな行為以外の何物でもないわ』

 「君の様な文化を持っていると、本当に愚かしいことなんだろうね。それもやっぱり、お金っていうものの妙な性質が可能にしているんだろうけど...」

 『お金がないと生きていけない星のあなたとしては、どんな風に思っているの?』

 「お金というのは、物凄く奇妙で、何かの代わりをつとめることはできないけど、何に対しても権力を持っている、というか、おかしいんだ。

 野球だって、バッターボックスに入るのは、人間の選手であって、札束がバッターボックスに積んである、ってみたことないからね。お金は、野球もサッカーもできないし、お寿司だって握れない。オレみたいに、考えたり、君と話したり、それをキーボードで打つことなんか、お金には絶対にできないんだ。

 なのに、お金で野球の選手が買えたりする訳でしょう?何もできない存在が、いちばん権力を握っているんだ。これっておかしくない?」

 『あなたは自分の社会のシステムをよく客観的に捉えているわ。わたしたちが、ナンセンスだと思うのも、あなたの言い方でほとんど言えていると思うわ。

 でも、問題なのは、"では、どうするか"ということがあるわね。でも、それについては、あなたの星では、有効な代案もない様ね。

 だから、わたしは言うの。わたしたちの様な、感謝を中心にしたコミュニケーションというが、可能にならないか、という話よ』

 「さっきの続きが聴かせてほしいな。オレ、君に愚痴ばっかり言ってただけだから」

 『でも、愚痴にするだけではなくて、ちゃんと分析している。その上での愚痴というのは、あってもいいんじゃない?愚痴が悪いことである筈もないし、何より、問題を明らかにする、というところからものごとを始める、というのは、真っ当な在り方だと思うわ』

 「でも、オレ、君の星みたいに、お金じゃなく、感謝が中心のコミュニケーションをしてると聴くと、一層オレ自身がダメなんじゃないかと思ったりするんじゃないか、とも思って...」

 『あなたの社会の問題は、魂とか感情とかを真っ当に扱わないことに慣れすぎているのよ。

 魂とかこころとか、を直視することが面倒だから、お金というシステムが発達したんではないかしら。今まで出てきた言葉でいうと、"合理化"の問題にあたることだと思うわ。あなたも、その環境に、不適応ながら、適応しているのではないかしら。

 適応が悪いこととは言わないわ。ただ、お金の問題は、あなたたち自身の"存在の忘却"の問題にそのまま繋がっている、ということを言いたいの』

 「そう。エールーエンの言うとおり、問題は存在の忘却なんだ。だから、例えば、この前寄ってみた預言cafeみたいなところが繁盛するんだと思う。あそこも、結局は、コーヒー代というけど、お金と預言が引き替え、という上手いシステムを取ってるよね。ただ、みんな、お客さんは、自己の存在を忘却しているから、預言をもらうだけで、満足しちゃうんだろうね」

 『そうね。あまり疑問を持たずにいる人が多い様ね。

 でも、あなたは自分で降ろせるのだから、もう行く必要はないわ。
 きょうは、これくらいにして、また、続きをやらない?この問題は根が深いわよ。それに、わたしたちの感謝のシステムについては、また字数もいりそうだし』

 「そうだね。続きはまたやろうか。ありがとう、エールーエン」

 『ワインはなくともいいわ。でも、ワインがあると、また展開が面白いわね。おやすみ』


   2011年の真冬の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-05 23:40
 前の日記で、キーシャというシャーマンの映像の在処を紹介した。(※今回の日記には、キーシャのことは書いていない。)それとはまた別な記事であるが、キーシャは、一貫して、「われわれは、自分が誰であるかを忘れてしまっている。そして、それを思い出すことが、今であり、目的である」という意味のことを述べている。

 自分が誰であるか、ということを思い出すということは、「生きている目的を思い出すことであり、それぞれが生きることにより、それぞれが自由な創造をすることが可能になる」という意味のことを言っている。

 この言葉自体は、多分正確だと思う。哲学の世界では、存在の忘却、という言葉があったが、いま、われわれは、自己の存在を思い出す時期に来ていると、いうことをキーシャは伝えようとしているのだと思う。(彼女も、それで正確だ、という)

 そう言われて、ふと、考えることだが、「では、そうだとして、自分がしたい創造とは何か?」という根源的な問いに至る。当たり前のことだが。

 そこで、私の内部は、こう答える。「殺さない存在の仕方はないのか」と。

 殺さない、というのは、如何にも消極的にきこえるかもしれないが、では、何者も殺さない在り方が、かつて、今まで、存在し得たのか、という疑問がある。

 彼女に聴くと、実は「ある」のだそうだ。だが、彼女の世界では、まだ実現には至っていないという。とはいえ、彼女の星でも、動物さんは殺さない、というところまで行っているのである。私が言っているのは、植物、あるいは、バクテリア、というレヴェルの話である。高名な僧侶も、「パンを食うということは、イースト菌を殺すことになる」とさえ、手の内を見せる形で、法話で説かれているのである。

 では、殺さないではなく、「活かす」という態度はないのか、あるいは、自分が殺されることによって、他の生命の生に繋がることはないのか、という疑問がある。

 人間という存在は、いまのところ、他の生物の脅威は少ない様に見える。しかし、皮肉なことに、院内感染で死んだり、AIDSで死んだり、ということはあるのだ。院内感染は、治癒を求めて行った先で、その環境ゆえに死すということであり、エイズは、多くの場合は、同性愛にまつわる交渉から拡がるものであるが、それが、同性愛とは全く違う、パートナーとの関係を快楽を通じて確かめあうことにより、異性間の交渉でも拡がる。生殖目的だとしても、拡がる。

 ということは、「生きよう」あるいは「生きたい」という場と関係を求めた結果、院内感染やAIDSで死んでしまうという皮肉な結果になるのである。

 人間にとっての脅威、というのは、生きる営みを求める、あるいは、生き残ろうとすることが、死につながる、ということではないのか。生き生きとしようとすることが、死と等価である、ということが、比較的最近、分かりやすい形で起こっているのではないか。

 人間にとっての死というものが、まだ充分に理解されない(自分もしていない)段階で、こうした死に方、あるいは、殺され方をする、というのは、死に対する覚悟ができていないからなのではないか、という気がするのである。

 ある先輩が、「ガンは福音である」と言われた。自分には、なんとなく、その言葉が分かる様な気がする。死と対峙する、ということが、不条理ではなく、別の受け取り方になる可能性はあるのではないか、という気がする。

 だが、今の自分には、お釈迦様が自分の身を虎さんに差し出した、という話の方が、ある意味で分かりやすい気もするのである。そして、そういう時の覚悟をして、生きる、というのも、決して悪くない生き方だ、という気もするのである。

 つい最近まで、生きる意味を見いだせなかった自分がこう言うのは、全く説得力がないと思われるのだが、いまは分かる気がするのである。

 もし、死など怖くはない、という人が、この文章を読まれていたら、もう一度、自分のためではなく、生命全体という意味で、考えてはいただけないだろうか、という気持ちを持ってしまうのである。


   2011年の真冬の日記より
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by bwv1001 | 2011-11-04 23:27