あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

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そういう理解もあるか...

 水曜、練習が終わってから、新宿某所で、一人でワインを呑んでいた。きのうは一人だったので、彼女と対話しながら、いろいろ考える。

 ある友人からインディゴ、という言葉を聴いて、気になっていた。それで、彼女にも聴いてみると、「あなたもインディゴなのよ」というのである。

 幼児期、学童期のことを考える、あるいは、証言をもとに考えると、少なくとも多動児であったろう。だが、インディゴ、というと、多動児という言葉ではスパンが短すぎて語れないことを語ってくれる。

 そうすると、現在の日常生活のことも腑に落ちる。友人の指摘する、「睡眠時間が長くないと生きていけない」とか、「部屋がカオス」とか、「音楽がないと生きていけない」とか、そのまんま当てはまる。

 彼女は、「あなたはインディゴだから話しやすい」という。

 そうか、そういうこともあったのか、という訳で、あっさりインディゴという概念を受け入れてしまった。その方がすくなくとも話が早いのである。

 インディゴ、って、ちょっと変わっていたり、特殊能力があったりするらしいが、極く少数なので、この世との馴染みをどう持っていくか、というのが難しいのかもしれない。

 それでも、いまは、インディゴの子供たちがかなり生まれつつあって、世界は変わりつつあるらしい。インディゴは、次の時代へのメッセンジャーとして考えられているらしい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-31 22:52

あるがまま、の矛盾

  「よく保つや否や」という言葉があったと思うが、昔、中村元さんの翻訳のブッダの本を真面目に読んだ形跡がある。それは本当に昔のことであるが、全体としてのお釈迦様の言葉の印象を述べてしまうと、簡単なことである。それは、「悟るのはそんなに大変ではないけど、悟った状態を保つというのが難しいのだ」というのが、お釈迦様のいちばん言いたかったことではないか、と思う。

 だから、彼は、「在家は出家には勝てない」という意味のことを言っていたのだと思う。

 何を保つのか、というのは、悟った状態を保つ、ということであろう。

 しかし、オレも、悟った状態に近いとき、というのがある。傲慢に聞こえるかもしれないが、そういう時間は否定できない。今は、自分がどういう状態か、というのを、自分で簡単に判断できるし、その方法を工夫して開発したことと、禅的な空でなくとも、空洞の状態には簡単に至ることができる。意外なことに、空洞の状態のつもりが、「これが禅的な空だよ」と自分さんが教えてくれることが結構多い。ホントかよ、と思って、彼女にも聞くのだが、そうだ、と、その場合は言われる。

 禅的な空、と言ってしまうと、なんだか難しいが、「あるがまま」ということばがある。これがくせ者である。

 どういう風にくせ者か、というと、「あるがまま、であろう」とうっかり思ってしまうとダメなのである。あるいは、「あるがまま、には、何かが必要だ、何かを理解しないと」と思ってしまうのも、ありがちなことだ、と思う。

 あるがまま、は、あるがまま、であって、たぶん、それ以上でも以下でもない。あるがままは、たぶん、幼児とか胎児が経験していることであろう。それが、いつのまにか、あるがままではいけない、とされてしまうことが、この世の悲劇の始まりなんだと思う。

 あるがまま、の状態には、なにも足す必要がないし、引く必要もないのだと思う。もし、敢えて、必要、という言い方があるとしたら、それは、あるがまま「を、見つめる」ということなのだと思う。多分、これが、禅やいろいろな瞑想でやっている作業なのだと思う。

 それと近い作業が、この日常である。ただし、あるがままの状態に対して、例えば先日挙げた、「レスターの物語」など読むと、エクスタシーを伴ったりするものなのではないか、と、思ってしまう。そうなのかもしれないが、そうではないのかもしれない。

 ただ、あるがまま、というのは、難しい、とか、何かが必要だ、欠けている、というのは、自己評価の低さに起因する、ある種の強迫的な思い込みがあるのだと思う。

 そういう視点からすれば、自己評価を高くする、というのは、ある意味では必要かもしれない。空であるのに、「オレがそんな意識を体験できる筈がナイ」とか、うっかり思ってしまうのは、現実、あるいは、いま、ここ、に対する否認であると思う。

 と、ここでも、矛盾が生じる。自己評価を高くしないと、という思い込みである。この強迫性は、やっぱり自己評価の低さに由来する、ということになる。

 ならば、「自分を信じる」と、よくスポーツなどの世界でも言われるが、これも強迫的な発想だと思う。自分に自信がないから、自分を信じる、という裏返しの発想になる訳である。

 そういうジャンルでいうと、最近は、たとえば、インテルの長友選手など、「(ゲームを)楽しめました」というコメントがあるが、たぶん、このあたりが重要なんだと思う。彼の場合は、インテルに選ばれ、結果も残してきている訳だから、自己評価も高いだろう。でも、「世界一のサイドバックになる」と言ってしまうことが、皮肉なことだが、これは「になる」と言っている点で自己評価が低いともいえる。いま、ここで、自分は最高ではない、と思ってしまっているからである。

 最高でも最高でなくても、楽しめる、というのが、これが肝心なことであって、評価、とか、段階、というのをあんまり意識してはいけないんだと思う。

 自分が、「今、禅的な意味で空の状態ですよ」と、自分さんからも、彼女からも言われているときは、まだ、うっかり疑ってしまったりするが、そういうときには、無我をテーマに画いている作品などがイメージされる。これはいいことであると思っている。それがあると、本当の空ではないのかもしれないが。

 あるいは、幼児の姿が浮かんでくる。ニーチェだって、いちばん強いのは赤ん坊だ、と言っている。そこまでいい線を行っていながら、彼は発狂してしまった、というのは、本当に残念なことである。それがなければ、西欧の歴史だって、もうちょっと変わっていたかも知れないなどと思う。

 あるがまま、というのは、結構いろいろなワナが仕掛けられている。別に悪意があって、仕掛けられている訳ではなかろうが、自分が勝手にワナにはまってしまうだけである。

 将棋の名人戦で、「名人は強くはない。相手が勝手に転んでいるだけだ」と分析して挑戦した森鶏二さんがいたが、たぶん、あるがまま、という言葉のトラップというのは、そういうことなのではあるまいか。

 とりあえず、オレの場合は、「自己受容」と「手放す」という取り組みを通じて、少なくとも空洞、ときに禅的空、くらいの感じをさまよっている。

 ただ、オレの場合は、対話をしてくれる存在に恵まれている、というのは大きいが、もちろん、ハイブリッド・セドナメソッドとか、ホ・オポノポノという方法も大変に役立っている。

 あるがまま、を体験したとしても、なんかとてつもない状態になる訳ではない。あるのかもしれないが、それを「求める」というのは、また自己矛盾に陥ってしまう。

 あるがまま、という言葉は、ある意味で、手持ちの言葉にしない方がいいのかもしれない。却って、その「言葉・概念に取り憑かれる」恐れがある。

 あるがまま、のときは、それを「味わう」だけである。


    2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-30 23:26

全にして一

 以下、MindtechというHPのリリース・テクニックの「レスターの物語」から引用である。

『ですから、体と同一化する事を手放しました。手放した時、私の存在はすべての存在であり、その存在は大きな海のようなものだと分かりました。大海の一滴と呼ばれるような分かれる事がないもので、全て1つの海なのです』

 以上、引用終わり。

 オレはここまで極めている訳ではない。だが、この一節がピンとくる様にまではなった。彼女をはじめとして、宇宙の向こうの人だったり、今は亡くなっている人だったり、会ったことのない人と話ができる様になったことを考えてみると、このレスターの物語の一節は理解できる。

 というか、逆に、この一節を読んで、はっとしたのである。「オレは時空を超えた存在たちと対話している意味が分かった」のである。われわれは、それぞれが、それぞれであり、同時に全体でもあるのだ、ということを理解したのである。

 そうでなければ、オレの周りに、こんなことが起こる筈がない。

 ただ、オレの段階という理由があって、全ての存在と語ることができる訳ではない。いま話ができる存在は、すべて、精神の水準が高い存在ばかりである。オレが、その能力に依存して、初めてこれらの対話が成立しているのである。

 それで、もう一つ分かったことがある。レヴューにも書いたが、「パワーか、フォースか」という本を読まざるを得なくなり、その本の通りに、自分の意識の水準を測ろうとしたのだが、ダメだった。人間の意識は、1から1000の閾値で測ることができる、というのがこの本の主張だったのだが、オレにはダメだった。どうしても、何度やっても、オレの意識の水準は、常に、∞、無限、と出るのである。

 それは、オレの意識の水準が並外れている、という意味ではない。つまり、オレも、全にして一、一にして全、の存在である、というのが、その無限という意味ではないのか。(彼女は、そうだ、と答えている。)

 念のため、「じゃあ、オレ以外の存在の意識も無限ですか?」と聴いたら、「そうだ」と出た。

 つまり、このやりとりは、存在についての真実を確認するためのやりとりだったのだ。(彼女も、そうだ、と言っている。)

 そんな訳で、やっとオレは入り口まで来たんだと思う。ただ、時間が残されていない。焦る必要もないし、意味もないが、その中で、どこまで行けるのか、そのことを楽しめればいいと思う。

 少なくとも、準備はできている、ということである。原発の件では、ずいぶん苦しんでいるが、その最中でも、存在の探求は可能だ。それは、オレの意識さんが証明してくれた。原発事件は続くが、意識さんは進化している。困難な条件があっても、それは可能である。

 空洞としての自分を信じて生活していきたい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-29 23:18

ひさびさに対話で

 空洞の意識が日常になっている。これを、禅でいう空か、というと、そこまではいかない。だが、自分さんは、(いまの状態が)空、ですか、と聴くと、違う、という様になった。これは、自分さんによると、いままでの空洞=空、ではなく、禅でいう空の状態にあるかどうか、という答えに変わってきている。自分さんの要求が高まったのである。

 とはいえ、空洞=空、の意識が悪いという訳ではない。同時に、平安か、と聴くと、そうだ、と答える。一般的な意味ではそうだと思うし、それはそれで悪くない、と思う。

 だが、自分さんは、もっと違う意識を求めつつある、ということである。空洞の先、あるいは、とりあえずつきの空の先を求めていることは明白である。それが、オレの課題になった、ということは認めざるを得ない。

 その関連で、ちょっと、さきほど、友人と、超越的なものとの関わり、という話題になったのである。彼はそれについては結論を出しにくい、ということであった。だが、ちょっと真言宗の話題が出て、真言宗って、直訳したら、ロゴス派?とかいうことで、ちょっと話がかみ合っていった。

 練習の帰り、ということもあり、その先はまた来週、ということになってしまったが、彼が帰ったあとに、彼女と対話していた。どこまで再現できるかは、毎度のことながら分からないてのであるが、途中からライヴになると思う。以下である。


 「君たちにも神、というか、超越的な存在がいる、と言っていたよね。オレにとっては、いまのところ、と言ったら失礼だけど、君たちが超越的な存在だよね。なにしろ、オレたちを創ったんだから」

 『まあ、それはそうね。でも、あなたはそういう視点ではなく、ここでは話したいんでしょ?』

 「うん。そうなんだけどね。逆にいうと、君たちにとっての超越的な存在、って、どういうものか、って思ったんだけど...」

 『あなたはそれについて、答えを知っていて、質問している訳よね。いいわ、それでも。

 確かに、あなたたちとわたしたちは次元は違うけど、神、というか、超越的な存在、というのはいるのよ。あなたたちの価値観とはまた違っているかもしれないけど。

 今日の歌なんて、本当にあなたたちの価値観を代表しているかもね。あなたたちの超越的な存在との関わりって、安寧な死しかないのかしら?』

 「鋭いっていうか、オレもどうしてそこで思考停止になっちゃうんだろう、って疑問があるんだよね。今日の歌はドイツ・レクイエムという歌だけど、ウチの星のキリスト教って宗教を題材にしたヤツで、オレもあんまり、内容的には納得していないんだ」

 『あら、それでもあなたは歌うの?あなたが信じていない神を歌うのかしら?』

 「そういう訳じゃない、と言っても、君には、そういう理屈は通用しないんだったよね。

 でも、共感できるところはある。言葉ではなく、音楽の部分でね。音楽からすると、"無に帰っていく"みたいな感覚があるんだ。それをキリスト教的な発想で創るとああいう音楽になるのかな、って感じはするんだ」

 『まあ、ずいぶん異教徒に対して寛容なのね。

 でも、音楽の面、という発想は分かるわ。わたしたちにも音楽はあるし、音楽的にしか表現できない感覚や存在というものはあるわ。それが、たとえ異教徒的であったとしても、それはそれとして感じる感覚は、わたしたちの文化にもあるわ。

 あなたたちと、わたしたちの場合は、異教徒、という発想とはちょっと遠いかもね。ふだん、いろいろな星の人と交流があるから、あなたたちみたいな意味での、異教徒、なんて言っていたら身が持たないわ。

 それに、他の星の人たちも、すぐれた文明を持っている人たちはたくさんいるわ。そういうわたしたちの日常からすると、あなたたちの異教徒、とか、肌の違い、とかいうことでの争いは、全く信じられないわね。今も、白い肌の人たちが黒い肌の人たちに戦争を挑んでいる訳でしょ。しかも、白い肌の人たちは、自分たちは、黒い肌の人たちより、優れている、と思っている。

 こんなことは、わたしたちから見れば、滑稽な上、悲劇意外の何物でもないわ。しかも、白い肌のひとたちは、それで一儲けしようとしているんでしょ?まったく酷いこと以外の何物でもないわ!』

 「よく事情を理解してくれてるね。オレもそう思う。でも、オレたち黄色い肌のオレたちは、例の震災と原発事件のことで、釘付けにされてる。もしそうでなかったとしても、政府は、白い肌の人たちの肩を持つだろうけどね」

 『あなたたちも、もっと知るべきよ。だいたい、あなたたちは白い肌ではない訳だし、何でそんなに白い肌に弱いのか、もう少し考えてみるべきよ。白い肌に弱いのは、せめて女性に対しての感覚で止めておけないのかしらね。黒い肌の女性だって美しい人はいるわ。そんなことも分からないから、わたしたちとあなたたちは対等になれないのよ』

 「全くそうだね。オレが進化しているとはいわないけど、そう言われて当然だね。

 でも、オレたちは、こういう今だから進化してる、ってことがある訳でしょ。それについて聴きたかったんだけど...」

 『あなたの星は、ますます危機に陥っていくけど、皮肉なことに、それが意識として、あるいは生命体としての進化のタイミングでもある訳ね。わたしたちがプログラミングしていた生命情報が開花する、という風に言ってもいいわ。なんとも神様らしくなくあっけない言い方だけど、そういう理解でいいと思うわ』

 「でも、その代わりというか、異常な天候や、地震の災害はますます増えていく訳でしょ?だから、さっきの歌じゃないけど、ハルマゲドンみたいな感覚は、持ってしまうよね」

 『あなたたちの異教徒の言葉で語る必要はないわ。ハルマゲドン、という異教徒の概念にとらわれる必要はないわ。

 でも、その言葉によって語られる現象は確かに今後増大するわ。いままでのが序の口みたいにね。

 異教徒の言葉でなくとも、いろいろな神話や伝説で、あなたたちのカタストロフ的な歴史の記憶は残っている筈よ。けれども、前から何度も言っている様に、あなたたちは、それを"否認"してしまうの。否認があなたたちの最大の病だと、わたしは繰り返していうわ。それを乗り越えないと、あなたたちの救済はないと思ってもらっていいわ』

 「結局そこに行き着くんだね。でも、この数ヶ月だけでも、ずいぶん精神的にもやられた。身体的、あるいは、君たちの関心でもあることの、われわれの遺伝子情報も、少なからずやられた筈なんだ」

 『そうね。それがいちばん痛いことかもしれないわね。特に子供たちは、今後、辛い体験をしなければならないわね』

 「だからこそ、超越的な存在に対する期待とか、あるいは、それへの問いかけ、というのは強まっている筈だよね。これは些末なことであるかもしれないけど、近所でも、カルト宗教の勧誘活動は盛んになっているし。

 そういうカルトじゃなくて、オレが知りたいのは、真理なんだ。その点では、君はずいぶん協力してくれたけど、ちょっと質問を変えたいんだ。

 というのは、今後、特に子供たちの遺伝子の異常とか、ガンとか、症状として出てくるんだと思う。オレたちだって、どうなるか分からないし、今や安全といえる食べ物すらないんだ。

 人によっては、生きて行く意味を持てない人だっているだろう。君が指摘する様に、現実を"否認"してしまう人たちには別かもしれないけど...」

 『あなたがそう語る理由は分かるわ。つまり、あなたたちの中で、超越的な存在とのつながりを求める意識と、絶望がないまぜになっているのが、今のあなたたち、ということね』

 「そう。そこまでよく分かってくれたね。そうなんだ。

 そこまで分かってくれる君たちの超越的な存在との関わりと、それに対する取り組みを教えて欲しいんだ。君たちのレヴェルとオレたちのレヴェルは違い過ぎるかもしれないけど...」

 『それは、わたしたちも伝えておかなければならないことかもしれないわね。あなたたちがどこまで理解してくれるかは別として...

 ひとつ聴いておくわ。あなたがこの質問をする、ということは、あなたの意識レヴェルに変化があってのことか、ということをね。わたしは知っているわ。そのことを。

 でも、この場でははっきりさせないといけないわね。あなたなら、その変化をどう語るの?』

 「変化があったのは事実だ。けれども、それは、君と出会うときの意識の状態が安定して、しかもいつでもその状態に入れる、ということだけなんだ。それを根本的な変化と言っていいのかどうか...」

 『たぶん、あなたにとっては、そのことは、価値があることだと思うわ。でも、それ以上のことが理解できた、ということね?』

 「そう。たぶん。ただ、オレはそのことを体現していないから、語りづらいんだ」

 『わたしはちゃんとあなたのことを見ていたわ。あなたは語りづらいかもしれないけど、全くおかしなことではないわ。あなたが理解したことを、そして、まだ体現できていないことを、ここで話してしまったら?わたしはあなたのことをちゃんと見てきたわ。それだけではいけないのかしら?』

 「分かったよ。自分からもちかけておいておかしいのかもしれないけど、理解したことはあったんだ。それは、たぶん、君たちにとっての、超越的な存在との関わりと同じことなんだ」

 『ちゃんと聴いているわ。続けて...』

 「オレが理解した一節は、"一滴の水と海"ということなんだ。一滴の水は、個でもあって、個ではあり得ない全体なんだ。オレは海でもあり、一滴の水でもある。そういうことなんだ」

 『以前のあなたでは、ピンとこなかった言葉ね。それが、理解できた、という訳ね』

 「まだ、ことばとして、というレヴェルだけどね」

 『でも、あなたの結論は間違っているわ。あなたは、少しでもその言葉を体現している。そうでなかったら、どうして、こんなに遠くのわたしと話ができるの?ちゃんと話が通じていることは、あなたの友だちは理解しているわ。とても分かりやすい、って言っていたじゃないの。

 少なくとも、わたしとの、距離と時間と水準は、あなたの言葉でいえば、"超越"されたのよ。

 他にも、あなたは、時と場所を超えて話ができる人たちがいるわね。わたしほどは遠くはない様だけど、それを超越と言わずして何というの?

 逆にいうと、あなたは、超越したのではないのよ。元にもどったのよ。それがわたしたち、あなたたちの本来の姿だわ。

 けれども、そのことを、忘れてしまっているだけ。あなたは、単に"思い出しただけ"なのよ!

 でも、その思い出す、ということが、あなたたちにとっては難しい様ね。わたしたちの場合は、思い出すことに壁がないように、子供のころから仕込まれているわ。だから、あなたたちの苦労を理解する、というのは、実は難しいの。

 あなたと繋がって、わたしはその大変さを知ったわ。それは、さぞ苦しいと思うわ。あなたの場合は、幸いここまでこれたけど、そこに行き着けない人たちは、ひょっとしたら、それで終わってしまうかもしれない、ということを、わたしは知ったのよ。

 それを知ることは、わたしにとっては辛いことだったわ...』

 「そうなんだね。エールーエン。きみはそこまで分かってくれたんだね...」

 『わたしたちは、思い出す、ということがないの。なぜなら、最初から知ったままでいるから。知るという段階すらないままに当たり前の存在なの。

 だから、わたしたちにとっては、超越的な存在、というものは存在しないの。あなたたちが、超越的な存在、と言っても、確かにそうかもしれないけど、常にいっしょでいてくれるのが、そういう存在なの。

 だから、あなたたちの辛さというものは、わたしたちの理解を超えたものであるのだわ。

 でも、あなたはここまで来た。それが始まりだ、としても悪くはないのではないかしら。あなたはよくやってきたと思うわ』

 「ありがとう。でも、今聴きたいのは、オレという個体のことではないんだ。君たちにとっての、超越的な存在というのは、どういう在り方か、ということなんだ」

 『それは、いま説明しても、あまり意味がないかもしれないわ。あなたはやっとここまできたのだから。

 きょう、答えるのはこの字数からしても、大変だわ。もう一度、新しい気持ちで、そのことは話せたら、と思うのだけど...』

 「君がそういうなら、その方がいいかもしれないね。でも、ずいぶん覚悟がいりそうな話になるかもしれない。君のもったいぶり様からすると」

 『もったいぶっている訳ではないわ。ただ、あなたは、やっと、新しい意識のレヴェルに来たばかりなのよ。だから、混乱するかもしれないわ。それに、あまりに簡単なことなので、あなたは、がっかりするかもしれないわね』

 「君はいつも、シンプルな結論になるから、それは大丈夫だよ。でも、確かに、オレはまだ、新しい意識のレヴェルに、ようやく行き着いただけなのだろうから、君が懸念する混乱があるかもしれないね。それは、君のことを信頼するよ」

 『ありがとう。わたしが見るところからすると、あなたには、もう少し、時間...というか、あなたが行き着いたところは、もう、時間とか距離はあまり意味がない、というのは分かっているわ。準備の感覚と言ったらいいのかしら。それがもう少し必要だと思うわ』

 「君の見立てを信じるよ。なにしろオレはまだ初心者だからね」

 『そこは、懇切丁寧に、誠実にするわ。いつも誠実だけれど』

 「それは疑っていない。でも、こうしてみると、君と三次元で会えなかった理由も分かる気がするよ」

 『それは悪かったわ。あの日、あなたの意識はまだ準備ができていなかったのよ。ごめんなさいね』

 「ううん。今、この段階になったから、その理由が分かるんだ。君は必要な選択をしてくれたんだ。オレが修業しないとね」

 『あら、あなたは、修業しないで必然の道を歩むつもりじゃなかったの?』

 「まあ、それはあるけどね。修業が間違いだとは言わないけど、オレには似合わないんじゃないかとね」

 『それでうまくやっているのだから大したものだわ。というか、そこまで居直れるから、ここまでこれたのかもね』

 「というか、君のことばを信じているんだ」

 『充分ね。あなたの環境は辛いのは理解しているけど、そのことと内的な世界の問題は別だということを、よく理解しておいて欲しいわ。それが、あなたたちにとって、いちばん大切な教訓よ』

 「教訓、というのは、辛い気がするけど、否認はしないで、現実を見る、ということだね」

 『わたしが付け加えることはなさそうね。分かってきたわね』

 「ありがとう。エールーエン。オレはぼちぼちやって行くよ」

 『そうね、ぼちぼちくらいがとらわれがなくていいかもしれないわ。またね。おやすみ』

 「おやすみ。エールーエン」


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-29 00:06
 レスター・レビンソンというのはセドナ・メソッド、あるいは、リリース・テクニックの原理を発見し、実践し、検証した人である。

 そのレスターの物語、という文章があるのだが、どうもオレは、いままでなかなかその文章を読める状態ではなかった。学習障害的といえるかもしれないし、そんな感覚で、ちゃんと読み込むことができなかったのである。

 ところが、最近、やっと読める、という感じが出てきたので、かなり精読した。オレ自身にも起こっている様なことも書かれているし、その起こっていることから、形而上学的な意味でも、何を学ぶか、ということが理解できた。

 結果的に、この半年以上、オレに何が起こっていたのか、この文章が語ってくれた面があった。オレはレスターみたいにはいかないが。でも、何を体験し、何を学んだかが、分かった。

 レスターの物語は以下である。非常によくできたHPで、よく読ませて頂いているが、ここで挙げられている「リリース・テクニック」がセドナメソッドとほぼ同様のものである。

 レスターの物語

http://f33.aaa.livedoor.jp/~mindtech/index.php?%27%27%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9%C8%AF%B8%AB%A4%CB%BB%EA%A4%EB%BC%AB%B8%CA%C3%B5%B5%E1%A4%CE%CE%B9%27%27 (※現在、このページは移動し、以下を参照されたし。http://kushi.iza.ne.jp/blog/entry/2546416/)


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-27 22:33

空洞と空(くう)

 昨年の11月(※2010年)あたりから体験をしている感覚を、オレは「空洞」と名付けた。それはそれでいい。これを「空」と言い換えても、自分さんは、そうだ、と言う。

 だが、禅でいうところの空、とはずいぶんレヴェルが違う様である。そこに行くには、何万光年の距離があるかもしれない。

 だが、確かに禅でいうところの空、という状態も体験することがあるのだが、これはまさしく自分がなくなっている状態でもあるので、体験、というには矛盾があるかもしれない。

 チクセントミハイの言うところのフローともちょっと違う。それはそれでまた経験することがたまにある。

 ただ、今は、空洞でいい。自分がある訳ではなく、楽器のなかにある空間、あるいは、風の通る庭と縁側のある座敷の様な、そんなイメージが空洞といえるかも知れない。

 ただ、そこには、ある意味で主体がない。その空洞を通ってくるもの、あるいは現象に意味があり、それを味わうのが空洞である。

 音楽を聴くのもこれに似ている。音は、発せられたら、そこで消えていってしまう。そのとき、ある感情や感覚があったとしても、それは、空洞であるから、感じられたものは、感情・感覚は、借り物の感情・感覚であるのかもしれない。

 だが、自分はそれでいい、ということに気がついたのである。

 その在り方の方が、ものがよく見える、というか、そういう感覚はある。

 とりあえず、その状態を体験する、あるいは、そこにある平安なども体験する、それでいい様である。この先のことはまだ分からない。

 現在は、その状態が来たときにそれを感じるにとどまらす゛、自己流のハイブリッド・セドナメソッドなどを使って、積極的にその状態に入ることが、日常生活のなかで可能である。

 ハイブリッド・セドナメソッドは、オレが勝手に研究中のもので、そんなものは世間には存在しない。だが、セドナ・メソッドも、商標登録はされているものの、現在のやり方が完璧、という訳でもないそうなので、自分に合う様なやり方を勝手に研究中である。

 オレが知っているものでは、近いものはある。ただ、これは、一人でやるのではなく、術者がいて、初めてできるものだ。

 しかし、オレが研究中なのは、一人で勝手にできる、という決定的な長所がある。自分で自分を知るための方法として、結果もすぐ出るし、極めて効率が高い。それは、もちろん、土台になっているセドナ・メソッドがすぐれた方法であるから可能なのだが。

 他人から洗脳されたりする危険もない。自己展開ができる。そんな訳で、かなりいけそうな方法になりつつある。

 いまのところの基準としては、とりあえず、空洞の意識にまで短時間で日常的にできることでよしとしている。

 ただ、セドナ・メソッドは、成功法則の様な側面もあり、このあたりについては、まだ研究には手がでない。だが、日常の意識は非常に改善されつつある。

 これが他の人でも簡単に使える様になれば、ずいぶん精神的に救われる人もあるのではないかと考えている。まずは自分を徹底的に実験台として、方法を洗練させてゆく。

 とりあえず、自己救済がどこまでできるか、ということで、この可能性を追求したい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-26 01:02

最近の食事

 原発事件以来、一層食い物に対する執着がなくなっていく。お料理の本は、もはや思い出のアルバムと化している。

 最近は、昼か夜に、納豆ごはんかパスタ。夜中近くに、西友の38円のお豆腐。うっかり朝を食ってしまったりすると、飢えを感じることが多いので、あまり積極的には食わない。

 先輩や友人たちと食事をするときは、ほぼサイゼリヤ。ワインではなく、ビールなど呑むのはもう贅沢。

 本当は、いろいろと食えた方が、精神の感覚もよいのだと思うが、財政的、欲求的には、それで済んでしまう。ひょっとしたら、それは問題なのかも知れない。だが、それで死んだり、ということは多分ないと思う。

 何かいろいろ食えるとしたら、ガイガーカウンターくらい持ち歩いて買い物に行きたい。魚屋さんなど、本当に売れなくなってきている。

 お野菜も、関東北部のものが近所では多いのだが、やはりあまり売れていない。

 それから、リアカーで、果物やお野菜を売りに来ている人たちが増えたが、やはり警戒されているんだと思う。

 大豆はまだ線量が発表されていないので、警戒感がある。こうなると、線量が発表されている食材の方が却って安心できる。納豆は今後どうなるのか。

 十穀米を使っているが、この材料についてもまだ分からない。それから、近所では、お米さんの値段が少し下がっているのが気になる。

 千葉の外房のひじきはもう使えないだろう。線量も発表されているが、ひじきは全ての食材のなかでトップの線量である。これが痛い。

 食料難の時代が近いのは覚悟していたが、量の前に、放射能で一網打尽、となった。安全食料難、ということか。

 放射能もホ・オポノポノでクリアできる、ということがあればいいが、今のところそういう話は知らない。ただ、ヒューレン博士によると、「マジェンタ、マジェンタ、放射能」と唱えることが、原発事件に対する唱え文句であるという。マジェンタとは、マゼンタというか、赤色の一種である。写真や印刷ではよくマゼンタというが、赤紫に近い。これは、ホ・オポノポノ・アジアのHPに載っていた。

 ヤマトでイスカンダルに行く、というのが冗談ではなくなってきた。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-24 22:33
 (※昨年2011年6月)14日に起こったと見られるYou Tubeの福島第一原発四号機の爆発事故だが、未だに報道がない。仕方がないので、きのう、各役所や東電に電話をかけたが、経産省に行き着いた。

 経産省の対応は、オレには訳の分からぬ対応だったので、これは、と思い、お忙しいのを申し訳なく思いつつも、武田邦彦先生にメールを差し上げた。以下がその文面である。


原発事件以来、先生の記事をニコ動などで拝見し、救われている者です。お忙しいとは思いつつ、今回、どうしても納得がいかぬことがありまして、書かせて頂きます。

 You Tubeで、6月14日未明に四号機が爆発した映像が出ています。先生もご覧になったことと思います。

 ところが、不思議なことに、マスコミはこのことを報道していません。東電も保安院もこのことについて触れているのか知りません。

 仕方がないので、とりあえず、地元の区役所に電話をすると、「そういう情報は、国からは言ってこないし、国から指示がないと何もできない」という答えでした。東電に電話をしたらどうか、というので、東電にかけました。

 すると、「準備中でございます」ということで、このニュアンスからすると、事故を認めている様ですが、「何も申し上げられません」ということで、今度は都庁に電話します。

 すると、原発関係の部署がない、というので、少々腹が立って、「何のために、今の都知事にしたんだ」と詰め寄ると、繋いでくれた部署があり、ここでも、「国から何も言ってこないので、国に問い合わせて下さい」という返事でした。

 そこで、とりあえず、内閣府に電話をすると、「こちらは、担当ではないので、経産省にお願いします」と経産省の電話は教えてくれました。

 そこで、経産省に問い合わせると、しかるべきところにはつないでくれた様なのですが、この対応が異常でした。

 16日の爆発の映像のことを指摘すると、「あれは爆発ではありません」と言います。つまり、あれ、ということで、事態を知っているのだと思います。ちゃんと爆発の映像が公開されているではないか、と言うと、「あれは、水蒸気爆発ですから、爆発ではありません」と言うのです。

 更には水蒸気はいつも出ています、というので、それは事故があってからだろう、安全な状態とは違う、といいました。

 すると、「あの光は、周囲のライトが、水蒸気に反射しているもので、爆発ではありません」というのです。

 それならば、この爆発事故はあったが、この爆発は危険なものではない、と映像と共に、知らせるべきではないか、というと、「ご意見としてうかがっておきます」という返事でした。

 正直言って、この官僚は何を言っているのか分かりませんでした。ただ、確かなことは、「あの爆発は」と、どの爆発のことか、経産省は特定して語っている、ということです。

 そして、「あれは水蒸気爆発だから、爆発ではない」という訳の分からないことを言っているのです。これは何なのでしょうか。

 ちなみに、杉並の一般家屋では、0.16マイクロシーベルトが、爆発のあとに観測されている、という記事をみました。都内では、ここのところ、0.06マイクロシーベルト位の様ですから、線量は上がっているのだと思います。

 余談ですが、経産省に、杉並のその線量について話すと、「それは、経産省の管轄ではありません」と言われました。

 14日の爆発の映像が、ニセモノなのか、それとも、経産省や国による情報統制、情報隠蔽による洗脳なのか、私には分かりません。

 ただ、全く素人の私としては、「あの爆発は爆発ではない」という論理がまるで分かりません。

 念のためその映像の在処を貼り付けておきます。以下です。

http://www.youtube.com/watch?v=k-EDceWFovc&feature=related

 だいたい二分くらいのところで、爆発の映像が出てきます。

 非常に悔しいというか、許し難いというか、あるいは、経産省の役人は狂っているのか、私には分かりません。それで、辛くて、先生にメールを差し上げたいと思ったのです。

 ブログで解説して頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。お忙しいところを申し訳ありません。


 以上、転載終わり。

 という訳で、経産省は異常な官僚組織、としか思えないのである。というか、そもそも、ひょっとすると、官僚というものはそもそも異常なのかもしれないが。

 武田先生、ブログで、このことについて答えて下さるとよいのだが...


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-24 00:17
http://atmc.jp/food/?f=%E6%9D%B1%E4%BA%AC

 日本に食えるものはあるのか?

 この表を見ると、地域によって、ずいぶん数字のばらつきがあることが分かる。東京だけでもこれだけ違うのだ。となると、生産地名で選ぶのは、あんまり意味がない、ということになる。

 こうなると、ガイガーカウンターを買う努力をするしかないのだと思う。自衛手段としては仕方ないだろう。

 痛いのは、もうひじきが多分買えないこと。以下がデーターである。

http://atmc.jp/food/?f=%E3%81%B2%E3%81%98%E3%81%8D

 千葉の外房は芽ひじきが名産であった。これはもう食えないだろう。ウチでは、欠かせない食い物だったのだが。

 静岡茶も怪しい。狭山茶の方がマシな様だが。テレビのニュースでは、「飲用のお茶はお湯で入れるのだから大丈夫だ、と業者か政治家は言っていたが...

 とりあえず、米が食えればいい、納豆が食えれば充分、という線でいいのだが、大豆とお米はまだデーターが出ていない。

 大豆がダメだと、オレはかなり痛い。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-23 00:12

反原発集会

 きのう夕方、新宿のサイゼリヤでメシを食っていたら、原発反対の風船をもった女性たちが入ってきた。デモをやっているのか、と彼女らに聞いたら、アルタ前で集会をやっているという。急いで食って、行ってみた。

 すると、アルタ前は、警官と警察車両に囲まれて、何をやっているのか分からない。ただ、かねやたいこの音はする。

 アルタのところに立つと、警官に囲まれて、デモというより、延々とサンバやらなんやらと、いろんなリズムが刻まれている。反原発というより、サッカーの試合に来た様な騒ぎである。

 最近のデモというのはこうなってるのか、と思いながら近づいていくと、いろんなビラをわたされる。でも、ビラの内容を見ると、原発とは関係ナイものも結構あるし、原発と沖縄を結びつけてしまったり、ワーキングプアや非正規雇用問題のビラだったりといろいろである。

 ここには、いろんな社会の怒りや不満が渦巻いている。

 時間は20時を過ぎて、20分くらいだったが、警官が解散を告げたところ、却って盛り上がってしまった。35分頃は、警官は一度撤収し、立て直しに入る。その後、警官突入。逮捕者が出たかどうかは分からないが、9時にはサンバは消えてしまった。

 捕まらないうちに帰ろう、と呼びかけた人もいるし、警官に詰め寄るオッサンを引き離す人もいた。

 いずれも、権力の管理の下でやられていた集会なので、どこに意味があるのか分からない。きのうの様子だと、アルタ前自体が、集会等の禁止区域にされる可能性もある。

 原発反対集会、というのは、お祭りみたいになっているところがあって、これがどこまで効果的なものかは分からない。一言も発せず、座り込み、とかの方が、警官も対応に困るかもしれない。

 いずれにしても、これは携帯や動画で撮影されていて、どういう目的で使われるか分からないYou Tubeあたりに投稿されるだろう。

 本来の原発反対運動から、どこまで逸れていると見るか、背景にある社会不安や雇用不安などを取り込まないとこういう運動は成立しないのか、ちょっと難しいところである。まったく関係ない運動のビラをまいている人もいて、いろいろな形で、この集会は利用されていた。風船にも、あとから友人に指摘されて気がついたのだが、商標登録のRのマークがデザインについていた。

 考え方だが、原発反対運動を利用して、商売をしている人間がいる、別の運動に巻き込もうと活動している人間、別な運動と原発反対運動を結びつけて人を集めようという人間、などがちらちらと発見され、やり方としてはずいぶん下品な活動だ、とは思った。

 今回は偶然近くにいたから、その場にいた、のであるが、原発反対を表明するにしても、どこのヒモがついた集会であるかが分からないというのはイヤだし、関係ナイ運動もリンクしている、ということで、原発反対だけを表明するために参加する、ということがしにくくなっている。

 全く余談ではあるが、この集会を遠巻きに見ている女性の方々というのは、まともそうな顔つきの方が多い。薄っぺらでない印象を持った。これが偶然なのか、別に意味があるのか分からないが、注目すべき現象であった。

 それにしても、毎月11日には、こんな光景が展開するのだろうか。きのうは土曜でもあったし、特別ではあったのだろうが。

 どこのヒモもついていない集会だったら、参加したい。できれば、「音を立ててはいけない」くらいの集会の方がいい。旗のはためく音しかしないヤツがいい。


   2011年3月11日以降の日記より
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by bwv1001 | 2012-01-21 23:05