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あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

訂正を神から求められた

 この一つ前の日記、神から、訂正する箇所があるので、訂正したい。訂正の必要があるのは、全く思いも寄らぬところであった。筋反射テストを使い、「この言葉ですか」とか、この上あたりですか、とか聴いていく。

 すると、以下の部分が、訂正の必要がある、ということである。以下、引用。

『こんな難しい問題を書いてしまったので、きょうはこれくらいにした方がいいですか、と聴くと、まだやることがあるそうだ。オレがメッセージを代わって伝える、ということで、神が自分のことを紹介して欲しい、と仰る。』

 この「オレがメッセージを代わって伝える」、という部分に問題があるそうだ。訂正すると、以下の方がいいらしい。

「オレを通じてメッセージを伝える」

 というのが、正確な表現だそうである。なるほど、確かに意味が違う。言い方をかえれば、オレは神の代理ではなく、イタコとか、最近の自分についての認識でいうと、「空洞」という在り方、として機能させるのが、私の役目だという。(※この表現なら適切だそうだ。)

 そういえば、この対話も、「空洞としての自分」という自己認識をした時から、始まったものだ。

 妙なことを思い出すが、夏に、師匠からお誘いがあって、「預言カフェに行こう」ということになった。オレもコーヒー一杯で、預言をもらったのだが、そのときのメッセージは、「神はあなたを用いたいと思っているのですが、まだ準備ができていません。」というものであった。

 何の準備かも分からないし、とはいえ、正確に私を分析しているという感じがあった。しかし、分からなかったのは、「では、自分はどうしたらいいのか?」ということであった。

 (神は、この書き方で正しいから、続けろ、という。)

 で、その「用いたいのだが」という話は、「いま、ここで、オレがやってること(=この対話)ですか」と神に聴くと、「そのとおり」という答えが返ってくる。

 空洞としての自分の存在、というのを考えたとき、預言カフェでいうところの準備ができた、ということなのかもしれない。(かも知れない、というところを「準備ができたのだ。」と書き換えろ、との指示がある。)

 このあたりは、なれそめの話なのだと思うが、まだ、続きを書け、という。どうしても、いま、なのだそうだ。

 むずかしいなー、なれそめか。

 ちょっと、難しいので、後で続きをやりますか、と聴いたら、夜中のうちにやれ、ということである。


 そう、それで大切なことを思い出したが、(※まさに、その話だから、書け、という。)ちょうど、この対話が始まる少し前に、「外応」(がいおう)という概念を知ったのである。

 外応というのは、占いなどで使われる言葉らしいが、占いの結果が出るときに、ただ、占いの結果を見るのではなく、そのとき、自分の近くで何が起こっているのか、ということを意識せよ、という概念なのである。占いの結果は、その外応に気がつくかどうかで、不幸な運命の変更もあり得る、というのである。

 この外応、あるいはまた内応、に注目することが大事な様である。この対話も、その、「いま、ここで」の五感に注目することで可能となっている。何しろ、筋反射テストという限られた道具をいまのところ、「たまたま」使っているので、ある意味では不自由である。

 しかし、いま、神は、「問え」と言っている。

 なれそめの話は、これでよいそうだ。文章もこれでよい、ということだ。ちょっとホッとした。徹夜でも、神がどんな質問をせよ、と望んでいるのか、分からなかったからである。

 しかし、そういう時にこそ、「外応」あるいは「内応」は大切だ、ということである。
# by bwv1001 | 2011-09-08 01:50