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あるクラリオン星人のと対話


by bwv1001

総理大臣の意識と9.11

総理大臣は、日本の復興・原発事故処理について、「日本の信頼回復」ということを第一に挙げている。こんなことをいうからダメなんだと思う。 (※当時野田が就任直後である。)

 最初にすべきことは、日本国民の安全を守る、ことなんではないの?

 新しい総理大臣の「日本の信頼回復」というのは、他人=外国から見える日本を意識しているものだろう。乱暴に言えば、「世間体」をとりつくろう、ということである。

 半分冗談で、総理大臣の意識のレヴェルを、「パワーか、フォースか」という本で主張している、「科学的な」方法で測ってみた。筋反射テストを使って、0から1000までの閾値で総理大臣の意識レヴェルを測れるか、と聴いたら、測れる、という。

 そこで、「500以上ですか?」と聴くと、それ以下。そうすると、数字はどんどん下がっていって、結果的には、「211」と出た。

 211という閾値の表す意味とは、9.11以前の人間の平均的な閾値であるが、高い水準とは言えない。ただ、「勇気」のある意識の水準であり、「肯定」的な感情を持ち、「能力」を持ったプロセスを体験する、ということだ。

 ちなみに、9.11以降は、世界の意識の水準は下がっている。200以下である。いまやってみると、196、ということである。

 余談だが、オレ自身は、このパワーか、フォースかの理論では測りきれないのだそうである。今でもそうだが、オレの意識水準は「無限∞」なのだそうである。

 そこで、では、他の人たちもそうですか、と聴くと、他の人たちも「無限∞」なのだそうである。

 で、そのことの意味を突っ込んで聴いてみると、「みんな、とらわれなく、もっと自由にやんなさい」という意味なのだそうである。みんな、ひとりひとりが神なのだ、ということを忘れないで欲しい、ということである。

 いま、オバマの9.11の追悼の辞を聴いているが、あんまり追悼になっている気がしない。オレがクリスチャンでないからかもしれないが。

 アメリカの状況は物凄くヘンになっているらしい。きのうNHKで観たルポで、「監視社会への道 愛国者法とアメリカ」という番組があった。監視社会というより、監獄社会である。ハイテクを駆使して、愛国者ではない、と定義づけられた人間の人権とか自由を剥奪してしまうのである。しかも、そのほとんどが、えん罪であり、濡れ衣であり、言いがかりである、という恐怖政治がアメリカでは行われているそうだ。

 ついでだから、アメリカ合衆国という国家の意識水準を、パワーか、フォースか、で述べられている「科学的」な方法を以て測ってみる。

 出た閾値は、何と134。アメリカ合衆国という国家の意識レヴェルは、125の「欲望」と150の「怒り」の間という、大変低い意識の水準である。それに関連することばをばらばらに挙げてみると、「失望」「敵対」「切望」「奴隷状態」「憎しみ」「攻撃」「否定」「執念」という言葉に象徴される。

 きのうの番組を観ると、まさしくそうだ、という言葉ばかりである。

 では、震災と原発事件の日本国の意識水準も測ってみる。

 出た水準は、254、という閾値である。これは、250という閾値に近いので、それをめぐる言葉を並べてみる。

 「権能を与える」「満足」「中立」「信頼」「解放」

 報道や日常の現実をみると、オレはとてもそうとは思えないが、この「科学的」な方法によると、国としての、日本国とアメリカ合衆国の意識の水準はまるで違うのである。

 実に皮肉なことなのだが、今聴いてみると、震災と原発事件以前の日本国の意識水準は、211と出るのである。これは、以前、この方法を使って測定された数字とほぼ一致する。現在の総理大臣の意識は、現段階では、日本国の意識の水準を大きく下回っているということになる訳で、本当に政府は大丈夫なのか、心配である。

 日本国の震災後の意識の水準の急激な向上は、危機に際して起こったものである、ということだ。254という数字は、たとえば、ブータンの252を上回って、世界で最も意識水準が高くなっている国家、ということになる。ブータンは仏教国であり、仏教を中心として成り立っている国家である。そして、現在では、幸福度世界一という国家の在り方をブータン政府は目指している。

 混乱から、意識の水準が上がっている国の一つが、やってみるとリビアである。251である。エジプトが244と出る。NATOも参戦して、事実上第三次世界大戦と言えるこの混乱が、やはり皮肉にも意識水準を急激に上げているのである。いつ何時どうなっても分からない中国は184と出た。北朝鮮は152。ということは、米国の意識は、北朝鮮よりもかなり低い、危険な状態なのである。

 では、それぞれ0から1000までの閾値で表現されると、どんな人の名前が挙がるか、代表的なものを挙げてみる。

 400は理性、を表現する閾値であり、アインシュタインやフロイトなどが歴史的な人物として挙げられるそうである。偉大な思想家は、このあたりの水準らしいが、科学者は、400の水準にとどまり、500に達することはないらしい。

 その500が表現しているのは、「愛」である。

 600が「平和」。超越とか、自己実現とか、神意識、を表し、1000万人に一人、という水準らしい。すぐれた芸術品や音楽や建築は、600から700の間の閾値になるらしい。

 700から1000というのが、エンライトメント=悟り、という意識に当たるそうである。800がマザー・テレサで、1000という閾値が、ブッダやイエスである。

 まあ、このパワーか、フォースか、という本が主張する閾値とその定義、そして、筋反射テスト=キネシオロジーという方法が、本当にどこまで通用するのか、オレ自身は疑問に思っている(~オレが、閾値では収まらない「無限」と出るからだ)のだが、米国の意識の水準、日本国の意識の水準をこの9.11から十年という区切りで測って比較してみると、何となく意味のある結果が出た様な気もするのである。

 受験じゃあるまいし、意識まで数字で測るのかよ、とオレ自身はこの方法とこの本に抵抗しているのであるが、意味ありげな結果が出る、という感想は否定できない。


   2011年3月11日以降の日記より
by bwv1001 | 2012-03-10 03:09