立川談志の死
2012年 04月 01日
歌の練習のとき、合唱の先生の口から聴いた。先生によると、「ショックだ」そうである。
自分はあまりそう思わない。立川談志の芸の堕落については、もうずっと昔から言われている。オレが習った英語の先生によれば、立川談志を聴いて、「古典落語の天才かと思った」と言っていた。しかし、その直観から、芸がずれてくるのもそう時間がかからなかった様だ。それは、もう三十年も前の話である。先生が語ったのが三十年前だから、立川談志が、古典落語の天才だったのは、そのもっと前なのであろう。しかも、先生が、芸が落ちた、と仰る時期のことは、たぶん、そのもっと前とあまり違わぬ時期を仰っているのである。
未来を嘱望されている人、というのは、得てしてそうなるのかもしれない。しかし、古典落語の天才から、はみ出して、新しい在り方を体現した人であるのかも知れない。
だが、こういうことを言った人もいた。その人も好き勝手いう人なのだが、「談志も、これだけ長生きして、ずいぶん迷惑かけてんじゃないですか」と言った。
それはないとは言えない。実際の話であるが、今はどうなっているのか知らないが、有楽町というか、銀座というかの宝くじ売り場のあたりで、楽器の扱い方も知らぬ弾き方で、着物を着てヴァイオリンを弾いている若い人がいた。何か、立て看板があったのか、それとも、胸と背中に看板を下げていたのかはっきり覚えていないが、その人と話をしたことがある。
その人は、立川談志から破門された、という人なのである。そのことを訴えているのか、それとも、破門そのものを売りにしている人なのかは分からなかったが、そのことが看板に書いてある。
好き勝手いう人には、好き勝手いう人の心というものが分かるのかもしれない。「確かにこういう形で迷惑をかけているな」と。
ただ、談志には、強みがあったと思う。それは、古典落語の才能ではないと思う。自分は人気者だ、という確信を持っている、という才能である。そう思った、少なくとも、一時期そう思った人の一人は、多分、麻原彰晃である。今でも勘違いしてそう思っているのは、石原慎太郎である。
勘違いだとしても、「自分は人気がある」と思っている人間は、そう悪い気はせずに生きていける。だが、麻原は、それが勘違いだと、選挙の結果思って、オウム真理教事件となった。
弟子に迷惑をかけている、という点では、立川談志と麻原彰晃はある意味でかわりはないのだが、立川談志は、常に自分は大衆の側にある、という確信があったのだと思う。筑紫哲也のニュースで、たまに出てきては、好き勝手なことを言って、自分のペースに持ち込む、というのは、自分は大衆に人気がある、という確信なしにはできないことである。
しかし、少なくとも、談志の度量というのは、銀座の宝くじ売り場でヴァイオリンの芸をする若者を包むことすらできないくらいのものなのである。その程度の度量なのに、好き勝手が言える、というのは、「自分は人気がある」という確信からであるとしか、オレには思えない。
麻原彰晃は、自分は人気がない、と認めることすらきつかったんであろう。それがあの一連の犯罪の原因であり、原動力となったと思う。人気者になりたい、という気持ちをエネルギーとして生きている人間はここが危険だと思う。
そもそも、自分が人気者である、という認知をする、というのは、実はずいぶん傲慢な話である。だが、談志は、たぶん、最近まで、それを力として、オレはただの汚いじいさんとは違う、という自己イメージを持っていたのだろう。
筑紫哲也のニュースに出ていたころの談志というのは、愚痴と文句をいうことを芸としていた。何もこの映像に関して知ることがなければ、ただの汚いじいさんである。だが、何をもってか、この汚いじいさんは、自分のことをじいさんだとは思っていない様に見えた。少なくともそう振る舞っていた。
愚痴をいいながら、見栄を切る、そんな感じが、立川談志の晩年の芸風だったと思う。
自分は違う、という認知、というのは、なかなか難しいものである。その尺度を人気に求めるというのは、自尊心が乱高下して、あまり健康な生き方とは言えない。
英語の先生が天才と言っていた立川談志は、もう何十年も前に終わっていたのだ。それでも、まだ、オレは落語家だ、という認識はあったのだろうか?
そう考えると、一つの結論が出てきた。立川談志は、古典落語の天才である自分を嫌ったのではないか。古典落語の天才、って、つまりインテリである。インテリは大衆を見下している。だからに人気がない。オレは、そうなるつもりはナイ、というのが、談志の気持ちだったのではないか。だから選挙にも出て、人気を票で証明しようとした。そういうことではないのか。汚いじいさんになっても、テレビじゃ、ご意見番扱いだ。ご意見番というインテリをやるのがまた気に食わなかった。だから、ぼやき、文句を言うことを芸にしてしまったんではないのか。
最近しばらく観ていなかったので、訃報をきいて、気になった。
最期まで人気者でいたかったのが、立川談志なのではないか、と思った。
月並みながら、ご冥福をお祈りしたい。(されたくもないことは理解しているのだが)
2011年3月11日以降の日記より
自分はあまりそう思わない。立川談志の芸の堕落については、もうずっと昔から言われている。オレが習った英語の先生によれば、立川談志を聴いて、「古典落語の天才かと思った」と言っていた。しかし、その直観から、芸がずれてくるのもそう時間がかからなかった様だ。それは、もう三十年も前の話である。先生が語ったのが三十年前だから、立川談志が、古典落語の天才だったのは、そのもっと前なのであろう。しかも、先生が、芸が落ちた、と仰る時期のことは、たぶん、そのもっと前とあまり違わぬ時期を仰っているのである。
未来を嘱望されている人、というのは、得てしてそうなるのかもしれない。しかし、古典落語の天才から、はみ出して、新しい在り方を体現した人であるのかも知れない。
だが、こういうことを言った人もいた。その人も好き勝手いう人なのだが、「談志も、これだけ長生きして、ずいぶん迷惑かけてんじゃないですか」と言った。
それはないとは言えない。実際の話であるが、今はどうなっているのか知らないが、有楽町というか、銀座というかの宝くじ売り場のあたりで、楽器の扱い方も知らぬ弾き方で、着物を着てヴァイオリンを弾いている若い人がいた。何か、立て看板があったのか、それとも、胸と背中に看板を下げていたのかはっきり覚えていないが、その人と話をしたことがある。
その人は、立川談志から破門された、という人なのである。そのことを訴えているのか、それとも、破門そのものを売りにしている人なのかは分からなかったが、そのことが看板に書いてある。
好き勝手いう人には、好き勝手いう人の心というものが分かるのかもしれない。「確かにこういう形で迷惑をかけているな」と。
ただ、談志には、強みがあったと思う。それは、古典落語の才能ではないと思う。自分は人気者だ、という確信を持っている、という才能である。そう思った、少なくとも、一時期そう思った人の一人は、多分、麻原彰晃である。今でも勘違いしてそう思っているのは、石原慎太郎である。
勘違いだとしても、「自分は人気がある」と思っている人間は、そう悪い気はせずに生きていける。だが、麻原は、それが勘違いだと、選挙の結果思って、オウム真理教事件となった。
弟子に迷惑をかけている、という点では、立川談志と麻原彰晃はある意味でかわりはないのだが、立川談志は、常に自分は大衆の側にある、という確信があったのだと思う。筑紫哲也のニュースで、たまに出てきては、好き勝手なことを言って、自分のペースに持ち込む、というのは、自分は大衆に人気がある、という確信なしにはできないことである。
しかし、少なくとも、談志の度量というのは、銀座の宝くじ売り場でヴァイオリンの芸をする若者を包むことすらできないくらいのものなのである。その程度の度量なのに、好き勝手が言える、というのは、「自分は人気がある」という確信からであるとしか、オレには思えない。
麻原彰晃は、自分は人気がない、と認めることすらきつかったんであろう。それがあの一連の犯罪の原因であり、原動力となったと思う。人気者になりたい、という気持ちをエネルギーとして生きている人間はここが危険だと思う。
そもそも、自分が人気者である、という認知をする、というのは、実はずいぶん傲慢な話である。だが、談志は、たぶん、最近まで、それを力として、オレはただの汚いじいさんとは違う、という自己イメージを持っていたのだろう。
筑紫哲也のニュースに出ていたころの談志というのは、愚痴と文句をいうことを芸としていた。何もこの映像に関して知ることがなければ、ただの汚いじいさんである。だが、何をもってか、この汚いじいさんは、自分のことをじいさんだとは思っていない様に見えた。少なくともそう振る舞っていた。
愚痴をいいながら、見栄を切る、そんな感じが、立川談志の晩年の芸風だったと思う。
自分は違う、という認知、というのは、なかなか難しいものである。その尺度を人気に求めるというのは、自尊心が乱高下して、あまり健康な生き方とは言えない。
英語の先生が天才と言っていた立川談志は、もう何十年も前に終わっていたのだ。それでも、まだ、オレは落語家だ、という認識はあったのだろうか?
そう考えると、一つの結論が出てきた。立川談志は、古典落語の天才である自分を嫌ったのではないか。古典落語の天才、って、つまりインテリである。インテリは大衆を見下している。だからに人気がない。オレは、そうなるつもりはナイ、というのが、談志の気持ちだったのではないか。だから選挙にも出て、人気を票で証明しようとした。そういうことではないのか。汚いじいさんになっても、テレビじゃ、ご意見番扱いだ。ご意見番というインテリをやるのがまた気に食わなかった。だから、ぼやき、文句を言うことを芸にしてしまったんではないのか。
最近しばらく観ていなかったので、訃報をきいて、気になった。
最期まで人気者でいたかったのが、立川談志なのではないか、と思った。
月並みながら、ご冥福をお祈りしたい。(されたくもないことは理解しているのだが)
2011年3月11日以降の日記より
by bwv1001
| 2012-04-01 23:16